2016年12月25日日曜日

クリスマス礼拝2016

 多くの教会では12月25日以前の最も近い日曜日にクリスマス礼拝をささげます。今年は第4週が25日のクリスマス当日で暦とぴったりあった恵み深い礼拝となりました。会堂がいっぱいになるほどの方が見え、初めての方も久しぶりの方も主イエスの誕生を喜び祝いました。
 父なる神が遣わされた御子イエスは、十字架によって死に渡されるために産まれました。彼の誕生にははじめから死の影がありました。それは、主イエスの死によって、私たちが永遠のいのちを得るためでした。主イエスがこの地上に来られたことは、神の最大限の愛の表現です。父なる神と御子イエスの愛の絆によって、私たちにいのちと自由が与えられたことを感謝をもって心に刻む時となりました。

 礼拝のあとの食事会では持ちよりのごちそうが所せましとならびました。毎年のことながら圧巻です。
 その後は、毎月第4週に行っている教会カフェを行いました。今回はクリスマス特別ヴァージョンで、聖歌隊の賛美コンサートつき。8名の新しい方がお見えになり、喜ばしいことでした。
 新しい年も恵みあふれる一年となり、少しでも世界に争いや悲しみがないように祈りつつ。

大野 夏希




イブ礼拝2016

 主イエス・キリストのご降誕を祝う今宵を心から感謝します。
今年のイブ礼拝も、私たちの光となるために、最も暗い暗闇まで降りてきてくださった主イエスの深い愛を深く思う時となりました。
 暗闇を知っている人でなければ、光の尊さはわかりません。ですから暗闇は、神の光と愛に出会うためのトンネルのようなものです。真っ暗闇のなかで照らされる光に導かれて、私たちは人生で目指すべき出口がわかるのです。
 世を照らすまことの光であるイエス・キリストの愛が、あなたの心を照らし、平安と喜びで満たしてくださいますように。

大野 夏希




2016年12月12日月曜日

天国のKさんに見守られて ~小羊会クリスマス会 in M家~

私たちの教会では、今年も「小羊会クリスマス」が12月3日(土)に行なわれました。
「小羊会」は、礼拝後に子どもたち(小学生)を対象に行われている小さな学びの会ですが、クリスマス会は、およそ30年前からM家で行なわれています。
毎年朝5時から、スモークチキンの準備していたのはM家のKさんでした。ところが昨年の11月、クリスマスの準備を例年より早めに終えたKさんは急に天国に行ってしまいました。買い物等の準備も一手にされてきたKさんが抜けた穴は大きかったことでしょう。でも私たちの心配をよそに、今年も例年通り行われたのです。
奥様のEさんの手品から会は始まり(写真①)みんなでさんびかを歌い、木村牧師のクリスマスメッセージを聞きました。
第2部は待ちに待ったクリスマスのご馳走。お肉を準備してくださったのは、30年数年前は小羊会メンバー(小学生)だった三男Aさん。今ではもう小羊会メンバーとその予備軍(幼稚園、2歳)の3人の女の子のお父さんです。
小羊会奉仕者、M家のお嫁さんたち、お孫さんたちもお手伝いしたという心のこもったお皿でテーブルは一杯になりました。(写真②)この写真にはお肉やケーキやフルーツポンチ他は写っていなくてゴメンナサイ!筆者は食べる方に一生懸命になってしまったもので……。 
最後はビンゴゲーム。Kさんも笑って見ておられました。(写真③)
初めて教会のクリスマス会に来てくださった子どもたち、お母さまたちの心の片隅に、救い主イエスさまのお話とこの日の思い出が残りますように……。

Kさんがサンタの帽子をかぶってリードされた2年前の貴重な写真も公開いたしますね。(写真④)

木村まどか





写真①





写真②




写真③




写真④








2016年12月10日土曜日

クリスマスチャリティコンサート ~被災地に思いを寄せて~

 12月4日、九州、東北の被災地に思いを寄せてのクリスマスチャリティコンサートが行われました。
 折しも、今年は大泉教会聖歌隊が結成30周年を迎えた節目の年。その感謝と記念も込めてのコンサートでした。聖歌隊を始め、グレイスベルハンドベル、そしてゴスペルフラの「エインカレム」による演奏とダンスが披露されました。
 30年の間に聖歌隊メンバーの多くは入れ替わりましたが、結成当時からずっと歌い続けているメンバーもおり、30年間神様が聖歌隊の歌声を通して、礼拝を祝福し、また多くの活動をさせてくださってきたことに感謝しました。澄んだハーモニーが響き渡るなかに、被災地への祈りと、私たち一人ひとりを愛し、招いておられる神さまのまなざしを感じました。
 グレイスハンドベルのきよらかな音色は、イエス・キリストの降誕の奇跡を思い起こさせてくれました。エインカレムのフラダンスは、ひとつひとつの表現の美しさに多くの方が心を打たれ、大きな拍手に包まれました。
 たくさんの感動に包まれたコンサートとなったことは、これまで準備し、心にかけてきた多くの方々の祈りと、祈りに応えてくださった神様の祝福の賜物です。メリークリスマス!

大野 夏希







心もお腹も満たされた! 女性会クリスマス会2016

 今年もクリスマス行事のトップを切って女性会のクリスマスが12月2日(金)に行なわれました。
講師は常廣澄子先生(志村バプテスト教会牧師)。「来年古希を迎えますが、牧師としてはこの4月からですから、まだ若葉マーク付きです……」と言われる先生は、干支は亥(いのしし)で猪突猛進型とか。いえいえ、とても温厚でやさしい語り口で、人生の後半になってどのように神様に導かれて牧師となったかを話してくださいました。
 先生は20年近く「いのちの電話」の相談員としての奉仕をされてきましたが、「相談される方の抱える深い心の闇を解決するには、神様と出会わなければならない、その方が完全に救われるためには、神様を伝えなければならないと思うようになった」とおっしゃいました。また先生のお話を通して、「聞く」ことの大切さについても学びました。
  例年この会には「讃美歌を歌う会」の方々も参加し日頃の練習の成果?をご披露しています。今年はみなさんで「羊飼いたちが野宿の夜」(新生讃美歌170番)を賛美しました。いつも「讃美歌を歌う会」に参加されている男性も応援に駆け付けて重厚な混声合唱をお聞かせすることができました。
 プレゼント交換(無記名のメッセージカード付き)がまた楽しいひとときです。それぞれにぴったりのプレゼントとメッセージが届きます。温かさと笑いに包まれます。
  そして持ち寄りの愛餐会にはこんなクリスマスツリーのケーキまで!(だあれ?写真撮る前に食べようとした人は!)
 抹茶クリームのツリーにバラ型りんごやべりーや星のフルーツ……みんなのお腹に見事に収まりました。
   
木村まどか



2016年10月4日火曜日

恵みの喜びに満たされた姫路伝道

 9/24~25の2日間、大泉教会の聖歌隊は姫路の2つの教会へ伝道コンサートに向かいました。
以下に、聖歌隊メンバーの報告記事を掲載します。


○東京から乗り込んだ新幹線の窓には途中激しく雨も打ち付けていましたが、姫路駅に降り立ったときには日が射すほどに天気は回復。そして、駅からまっすぐ走る大通りの先に見える真っ白な姫路城の姿にメンバーの何人もが感激の声をあげる中、姫路伝道がスタート。その足で向かった姫路野里教会での賛美と証しのコンサートには、近隣の年配の方も含め会堂がいっぱいになるほどの参加者が。その人たちの輝く瞳、時に口ずさんでいる姿、共に歌った時の若々しい声などに我々も胸が熱くなりました。

○主日礼拝は姫路城の西側の静かな住宅街にある小さな姫路城西教会での賛美と説教の奉仕。大田雅一牧師が姫路にゆかりの文学者でキリスト者である椎名麟三の作品を切り口に、ルカ書24章のイエス様が弟子の前で魚を食べられた出来事から復活を解き明かしていったわかりやすくも力強く、そして魂に響く説教は、姫路城西教会員はもちろん我々も大いに勇気と希望を与えられました。午後の賛美と証しのコンサートには姫路だけでなく神戸からも参加者があり、会堂もいっぱいになりました。賛美を聞く人々の体温までも感じるような雰囲気の中でのコンサート、ここでも我々の心は大いなる神の業への感謝と賛美する喜びに満たされ、姫路伝道も無事終了。感謝、感謝。 
加藤洋一


姫路野里教会
















姫路城西教会




2016年9月11日日曜日

2016.9.3 夕礼拝説教「心と体で あなたのすべてで」

 この夕礼拝でたくさんの方と礼拝をささげることのできる喜びを感謝します。
 今回は音楽委員会主催の夕礼拝ということで、ダンスや手話といった表現での賛美がささげられました。とても、新鮮な気持ちで賛美することができたのではないでしょうか。
 聖書にはさまざまな賛美の描写があります。楽器の種類だけでも実に多様です。琴、つのぶえ、太鼓、笛、シンバル、タンバリンなどです。旧約の時代から、私たちは様々な楽器を通して賛美をささげ、もちろんほめ歌もささげられてきました。今、この時代も豊かな楽器に恵まれています。今はなかなか弾ける人がいませんが、地下にはギターがあり、何年か前には青少年たちが礼拝に用いたこともありました。私は大学時代、「賛美チーム」という奉仕グループに所属しており、その活動を通して信仰を与えられたのですが、そのチームで演奏した楽器も思い返すと実にたくさんありました。ピアノ、オルガン、ギター、ベース、カーホンという箱のようなかたちをした打楽器、バイオリン。残念ながら、私は何も楽器を演奏できないのでもっぱら歌うだけでしたが、多くの楽器で調和したハーモニーを奏でることは実に麗しく、天国の扉を開いたかのように感じられたものです。
そして、賛美は歌や楽器だけにとどまらないことは今皆様がご覧になった通りです。ダンスや手話を通してささげられる視覚的な賛美も、本当に私たちの心を打ちますし、神さまもそう感じておられることでしょう。しかし、賛美はもっと単純な方法でもささげられます。「手を挙げる」「ひざまずく」「手を叩く」「叫ぶ」といった方法で神をほめたたえた記事が聖書にはたくさんあります。神はたくさんの手段を通して神を賛美することができるように私たちを造ってくださいました。声が出ない人も、手がない人も、足がない人も賛美できるように。神が私たちに与えてくださった肉体は本当に繊細で、驚くほどにダイナミックでたくさんの動きをすることができます。私たちの五感は実にさまざまなことを感じ取ることができ、そのすべては神が与えてくださったものです。なんとすばらしい賛美する器を私たちはいただいたのでしょうか。この体をフルに使わなければもったいないですね。
 そもそも賛美とは、神をほめたたえる喜びの表現です。となれば、私たち自身が神を喜ぶことから出発するべきでしょう。しかし不思議なことに、必ずしも喜びが最初にあって、賛美が生まれるわけではないことを私たちはしばしば経験します。賛美そのものに力があるのです。「あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」(詩篇22篇)と聖書が言うとおりです。賛美は私たちを、神様を礼拝するように導く力があります。私もしばしばしてしまうのですが、「今日の夕飯何にしようかしら」とか、「ああ、明日からの仕事が憂鬱だな」と神を礼拝するにはほど遠い態度であったとしても、神は賛美を通して神の栄光を仰ぎ見るようにさせ、主を礼拝する心まで備えてくださるのです。それはつまり、神を喜べない時であってさえも、私たちは賛美することができるということです。そう考えると、私たちのほうが賛美をささげると言いつつも、賛美がすばらしい神さまからの賜物だと気づきます。賛美を通して、私たちは思い返すことができるのです。神は、私たちがどのような状況であっても変わらないお方であること。主イエスが十字架の上でささげられた犠牲が私への愛の現れだということ。神が今までの人生でしてくださった恵みの数々を。
それでも賛美できない時がありますか?私もありました。そんな時は神に叫びましょう。詩篇の多くが嘆きと恨みで始まった言葉が最後には賛美に変わることを教えています。私たちは神さまの前で正直であるべきです。往々にして私たちは神さまに自分の本当の心を隠そうとしがちです。創世期の時代にアダムとエバが罪を犯してから、私たちは神の前に自分のありのままの姿を見せることができなくなってしまいました。本当は賛美なんかできない苦い思いでいるのに、心を閉ざした偽りの賛美をささげてしまうことはないでしょうか。けれども、それを神は望まれてはいません。神は私たちに偽ってほしくもないし、無理することも望んでおられません。私たちに正直になってほしいと願っておられると私は信じています。神さまの前に心を開け放つことが賛美の始まりであり、真実の礼拝に到達するために必要なステップなのです。
さて、本日読んでくださった詩篇148篇は、天使も自然現象も、動植物さえも賛美せよと命じられています。彼らはどうやって賛美するのでしょうか。私たちと同じように、歌ったり楽器を奏でたり踊ったりすることはもちろんできません。皆さん、彼らが賛美するとはどういうことを意味すると思いますか?彼らにとって、自身の役割を精一杯全うすることが主を賛美することなのです。鳥にとっては空を飛び、巣をつくることが賛美です。星々は美しくきらめくことが賛美することです。火は燃え上がることが賛美することです。
 そう考えると、賛美するということは私たちの生き方に密接に関わってくる問題だということがわかります。自然現象が、動植物たちが自らの役割を余すことなく全うすることが賛美であるならば、私たちは神さまが造ってくださった唯一無二の私という存在を精一杯生きることが賛美することなのです。それが、私たちが神に栄光を帰す行為であるからです。私たちが「神を喜び、神のために精一杯生きること」が賛美なのです。
神は、私たちに感情を備えられ、喜び楽しむ賜物をくださいました。しかし、神はそれを自分の欲を満足させることに終始させるためではなく、神を喜び賛美するために与えられたのです。私は大学時代に信仰を与えられ信仰生活を育まれていく中で、自分が生きたいように欲のままに生きていくということがいかにむなしいかを悟りました。コヘレトの言葉を記したソロモンは、父ダビデ王の後栄華を極め、欲しいものは何でも手に入れることができる権力と富、そして人生についての英知をも神さまから賜りました。しかし、それらすべてはむなしいと言っています。お金も、力も、知識も、能力も、自分の自己実現のためではなく、これらを通して人に仕え、神の栄光を現すために与えられているのです。私たちが持っているものはそれぞれ違います。興味を持っていること、得意としていること、楽しむことのできる対象もそれぞれ違います。神さまが皆さんに与えられた環境、個性は皆さんにしかないものです。だから、他の誰かのようになろうとする必要もないし、自分にないものを誰かが持っているのをうらやむ必要もありません。鳥は魚にはなれませんし、ひまわりがバラにはなれません。私が最も自分らしくあることが神さまを賛美することなのです。他の誰かに決してとって代わることのできない私とは、どのような私でしょうか。何が好きで、何が苦手で、何をしている時がうれしく、どんなことが退屈でしょうか。どんなことをしている時が神さまに感謝できるでしょうか。神さまってすばらしいと思える事柄はなんでしょうか? もし、このことを通して神さまのために生きていきたいと思える事柄が見つかっていないのであれば、神さまに問い続けてみてください。必ず、神さまはご自分の民一人ひとりにどんなことを通して、自分自身の使命を全うすればいいのかを教えてくださると私は信じています。
こう申し上げると、神さまは私のいいところだけを用いるのねと思われるかもしれませんが、実はそうではないのです。私は牧師になるように神さまから召されたと信じていますが、自分ではまったく牧師に向いている資質を持っているとは思っていません。実はとても引っ込み思案で知らない人と話すことは苦手だし、気のきいた話題を提供することもできません。精神的にタフというわけでもないし、こういう体型なので皆さん勘違いされるかもしれませんが、ものすごく健康というわけでもありません。最近は2週間近くも風邪が治らず、つくづく年を取ったと感じ入ったものでした。若い頃、今でも多少そうなのですが、私は劣等感の塊でした。美人でもなければ、頭も良くない。太っていて、性格は暗く、周りからは無視されて話しかけてももらえない。どこをどう探しても、自分には何の取り得もないと思っていました。小学校の先生が一度だけ私をほめてくれたことがあるのですが、「大野さんは素直なところがいいところよね」と言われました。素直じゃない子どもなんて、いるわけがありません。それぐらいしかほめるところがない人間だったわけです。
しかし神さまと出会い、私は恥と汚点だらけの人生が神さまから用いられることを知りました。私が劣等感の塊で人を信じることができなかったからこそ、私は神の愛が必要だと気付くことができたのです。そして、主イエスを信じて自分自身のすべてを神さまにささげたことで、このいびつな私という弱さや欠けすらも通して、神さまがご自身を現していかれるということを知ったのです。私は内気ですが、神様に頼ることで大胆になることができます。ぽっちゃりしていますが、神の愛は世の美しさには左右されないことをあかしできます。傷つきやすいおかげで、傷ついて苦しんでいる人の気持ちに寄りそうことができます。私のいいところも、悪いところも、人生で起こったうれしかったことも、苦しかったことも、神さまはご自身の栄光を現すために用いてくださいます。そして、私は主を賛美するのです。「私は神さまをほめたたえるために造られたのだ」と。
 ですから、だれでも神さまを賛美できます。そして、すべての人が賛美するように召されているのです。心で、体で、この人生を通して、主がどんなに私たちを愛し、どんなにいつくしみに富み、どんなにありのままのあなたを通して、神がご自身を現したいと願っておられるかを私たちは賛美を通して現していくのです。そんな私たちを見て、神はほほえまれるでしょう。「これこそ、私の心にかなった者」と。
「主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く、威光は天地に満ちている。主はご自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ」

 私たちが、私たちの環境、個性、今までに起こったすべてのこと、この体と心のすべてを通して、主を賛美することができますように。そして、人生の日の最後に「私は主に愛され、その愛を賛美し続けた幸いな人生だった」と笑って召されることができれば、これにまさる生き方はないのではないでしょうか。ハレルヤ。


神学校生 大野 夏希

2016年7月24日日曜日

サマーキャンプ2016 その2

 6時半からの早天祈祷会で始まった2日目。
 すがすがしい緑のなか、みなで円になって聖書のことばに耳を傾け互いのために祈りました。
 
 朝食の後はグループに分かれて「主のある交わり」というキャンプテーマにそった分かち合いの時間を持ちました。それぞれの視点から「交わり」の意味や大切さが語られ、互いに愛し合い支えあっていきたいという思いを改たにしました。


 分かち合い後の集合写真。 


 その後は自由散策。天気が良ければ富士山が見れるようですが、今回は雲に隠れて見れませんでした。



 バイクにこんな大きなバッタがとまっていました。触っても全く動きません。思わず一句。
 「あのバッタ 俺のバイクに 住みついた」。



 昼食後帰途へ。途中桃狩りに寄り、特大の桃に舌鼓を打ちました。

 帰りも渋滞に巻き込まれましたが2時間遅れで無事に到着しました。互いに今まで知らなかった一面を知り、関係が深められたキャンプでした。

大野 夏希

サマーキャンプ2016 その1

 毎年恒例のサマーキャンプ。今年は7/17~18に静岡県御殿場の東山荘にて行いました。
キャンプのテーマは「主にある交わり」。行きも帰りも渋滞に巻き込まれプログラムどおりにいかないところもありましたが、それもまた旅の醍醐味です。
 予定より1時間ほど遅れて到着したので、開会礼拝を繰り上げてすぐに夕食。東山荘の食事は毎回バイキング形式でしたがどれもとても美味しく、普段少食な人もおかわりするほどでした。
 食事の後に遅ればせながら開会礼拝を行いました。キリストという磁石に引き寄せられて集まる砂鉄が、私たちクリスチャンの交わりであるというメッセージはとても分かりやすいたとえでした。イエス・キリストを見上げるお互いだからこそ、相手が自分と合わないと思うような人であっても、ともに歩んでいけるのであり、そうできるようにキリストが力をくださるのだと思われました。
 その後は子どもたちが待ちに待っていたキャンプファイヤーです。


灯火の行進。本格的です。


あかし(信仰生活の中で神から教えられた体験を語ること)の時間。


花火。大人も子どもも夢中です。


少し雨が降り出しましたが、キャンプファイヤーの前にはすぐにやんで無事に行うことができました。

大野 夏希

2016年7月11日月曜日

神学生のあかし その2

神学校週間のあかしはこれで3回目になります。いつもお祈り本当にありがとうございます。仕事と勉強の二足のわらじという点でも、経済の点でも、多くの方の祈りと支えによって続けられていることを実感しています。
さて、私が神さまから与えられている賜物でとても感謝していることがあります。それは、「忘れっぽい」ということです。
勉強や仕事の上で忘れっぽいことは本当に困ることですが、最近この「忘却の賜物」のすばらしさに目覚め始めています。「私最近忘れっぽくてもう年だわ」と思っておられるご年配の方々にも朗報かもしれません。
忘れることはいいことも忘れてしまうかもしれませんが、当然嫌なことも忘れます。いつまでも相手からされた嫌なことを悶々と抱えていないでいられる賜物です。私は特別養護老人ホームの生活相談員をしていますので毎日認知症の方と接していますが、「ばかやろー、うるさい」と怒鳴った相手と数分後には手を取り合って歌を歌ったりしているのです。なんとすばらしい和解、これは忘却の賜物があればこそです。
しかし、このように能天気になれたのはまさしく神さまが私を造り変えてくださったからであり、思い返せば私には赦せない人がたくさんおりました。クリスチャンになって、赦さなければならない一人ひとりのことを「赦せるように」祈り続けた結果、多くの人を神さまの恵みによって赦すことができるようになりました。その一人が父です。
父は感情の起伏が激しい人で、また子ども、とりわけ長女に対する私への期待や理想が強くありました。別にクラスで一番になれとかそういうことではありませんが、人並みな大人にしようと必死になっているところがありました。
私は学校で集団生活に溶け込むことがなかなかできず、落ち着きがなかったり授業で上の空だったりすることが多くありました。父はそんな私にとても気をもんでいたのでしょう。よく私を殴りました。とりわけ、学校で宿題や必要なものを忘れたりした時には顕著で、必ず殴られました。なので忘れ物をしたことを隠しましたが、忘れ物をした場合先生から記入をさせられる「忘れ物カード」なるものがあったため、それを定期的に見せるように命じられ、必ず隠したことはばれてしまい、三倍殴られる羽目に陥りました。ある時、耳の鼓膜が破れてしまったことがあり、その時母はもう離婚だと職場にまで触れまわって大騒ぎしましたが、結局離婚には至りませんでした。
今思うと、この異常な物忘れはストレスから来ていたのだろうと思います。大学3年の時や社会人になってから私はうつ病を患いましたが、その時も最初の症状として現れたのは記憶が飛ぶことだったからです。しかし、父は学校でいじめられている苦しさも、忘れたくて忘れているわけではないのに努力してもできない悲しさも、わかってはくれませんでした。
思春期を迎えると父とは顔も合わせたくないほど嫌悪感でいっぱいでした。母とも年がら年中怒鳴りあったり物を投げつけあったりしていたため、早く離婚してほしいとしか思っていませんでした。
大学3年の時、両親が離婚しました。やっと平和な家庭になれるとほっとしました。しかし、物理的には一緒に暮らすことはなくなりましたが、私の心は決して平安ではなく父から自由になったわけではないと思わざるをえませんでした。私の心は幼い時からの父への怒りでいっぱいで、それにとらわれたままでした。私は父を赦すことができるように祈りました。祈って静まってもまた湧いてくる怒りにあきらめそうになりながらも。
祈りは突然聞かれました。大学4年のある日父の家に足を運んだ時のことでした。父は酔っぱらってろれつが回っていませんでした。父は私が子どもの頃の話を始め、突然さめざめと泣きながらこう言ったのです。
「あの頃、お前にはひどいことをした。本当に申し訳なかったと思っている。ごめんよ。ごめんよ」
 今までのわだかまり、悲しみ、怒りがすーっと溶けていくような気がしました。そして、自分の中に父を責める心が全く消えていることに気がついたのです。私は「もう怒ってないから。もういいよ」と言いました。父はおんおん泣きながら、私を抱きしめてくれたのです。お酒臭くて少し嫌でしたけれども。
 離婚して大切なものを失い、父は心から今までの過ちを悔いたのでしょう。一人ぼっちになって初めて、自分が家族から与えられているものを悟ったのかもしれません。
大学3年の時に、私の家族はひとつの終りを迎えました。母には新しい恋人ができ、父は相変わらず一人です。弟も独立し、みんなそれぞれの道を歩み始めました。しかし、私たちは今までとは違った家族としての関係をつくり始めています。私は父と和解しました。母も歳月と新しい彼に心をいやされたのか、数年前から父と会うことを嫌がらなくなり、家族四人で会うようになりました。先日の母の日には母の家に四人で集まり食事をしました。
神さまは私たちに新しい平和をくださいました。幼い頃からずっと切望し続けてきた平和です。神は祈りを聞いてくださいました。
そして幼い頃苦しんできた忘却を賜物として磨いてくださった神は、以前よりももっと人を赦すことができるように私をつくりかえてくださいました。
物忘れが多くなったと悩んでおられる兄弟姉妹の皆様、この忘却の賜物をともに喜びましょう。そして、忘れることによって赦すことのできる幸いを感謝したいと思います。

大野 夏希

2016年7月3日日曜日

神学生のあかし その1

 先週の日曜日から1週間、大泉教会では神学校週間の時期を過ごしました。全国に3つある日本バプテスト連盟の神学校を覚えて祈り、献金をささげる時です。毎年現役神学生のあかし(信仰生活で教えられたことや救われた体験を語ること)がなされ、ともに神の恵みを喜びあいます。
 2回の記事に分けて、おととしと今年のあかしをアップしていきたいと思います。


 私は大学を卒業してから、否が応でも祈らなければならないという強い迫りに押されて、毎日祈るようになりました。特別養護老人ホームでの不規則な勤務は多忙を極めましたが、不思議と毎日1時間、2時間と祈ることが習慣になっていきました。主イエスに心を注ぎだして祈り、ともに時を過ごすことは、至福の時間でした。
そんな日々を過ごすうち、私は日常的に心のうちに書きつけられるかのような「声」が聞こえるようになりました。その声に導かれるままに、私はひとりの不眠症の友人のために祈るようになったのです。1ヶ月ほど祈った時突然「彼女はいやされましたよ」という声を聞きました。「これは自分の願望が声となって聞こえたに過ぎない」。そう思いました。するとその3日後、何の前触れもなく彼女からメールが来たのです。メール不精の彼女は返事すらろくに返ってこない人でしたので、まず向こうからのメールが来たことに驚きました。実に半年ぶりのメールだったのです。「元気?」という文面の後に、「不眠症から解放された」とありました。私が衝撃を受けたことは言うまでもありません。彼女のために祈るように導かれているという感覚が自分の思い込みではなかった、この祈りが神のみこころにかなっていたということは、私に大きな励ましを与えました。そして神さまが彼女を愛し、いやしをもたらされたということを知り、これまでの神さまからの語りかけに心から感謝をささげたのです。
その後いろいろな方から「神さまがあなたを用いようとしている」という励ましのことばをいただき、自分自身の使命のために今まで以上に祈るようになりました。そして、与えられた聖書のことばが「あなたの耳は、背後から語られることばを聞く。これが行くべき道だ、ここを歩け、右へ行け、左に行け」と。」(イザヤ30:21)でした。そのことばによって、私は神さまからの啓示を何らかの形で伝える役目をゆだねられていると確信するにいたりました。
しかし、その時はまだ自分が牧師になるために動き出す時ではないと感じていました。福祉の仕事をしながら、私は神さまが、「行きなさい」と声をかけてくださるのを待っていました。その間、さまざまな信仰の闘いがあり、自分の不信仰や貪欲に嫌気がさしてうつ状態になり、「こんな私を誰が愛してくれるだろうか」「今この瞬間、自分のことを案じてくれる人などいるのだろうか」と自問するうちに、どんどん負のスパイラルから抜け出せなくなっていきました。しかし、そのような孤独と絶望の中で限界を迎えた時、神さまは私のために祈ってくださる方や私のために泣いてくれる友をそばに置いてくださいました。そして、私の心身は回復していったのです。
神さまが私を呼んでくださったのは、それからすぐのことでした。私は高齢者のデイサービスで相談員として働いていたのですが、職場の施設で何回かゴスペルコンサートをさせていただいていました。その時のコンサートでは、演奏の合間に短い聖書のメッセージをさせていただくと決め、語りだしたとたんに神が私たちにしてくださった恵みの大きさに、語っている私自身が心を揺さぶられました。そして、「私は福音を語らなければならない。この恵みを語らないわけにはいかない」という強い思いが湧き上がってくるのを感じました。そのとき神さまが福音を語り、啓示を解き明かす任務に就かせるための備えを整えられたことを全身で感じ取ったのです。そして、祈りながら学ぶことのできる神学校を探し、今にいたっています。

入学にいたるまでのプロセスを通して、神さまから教えられたことがあります。それは、人は何かができるから、愛される価値があるのではないのだということです。うつ状態だった私は、仕事もできず心の中は空虚で、神さまに喜ばれそうな要素は何一つありませんでした。私の中にはたくさんの罪と弱さが潜んでいます。にもかかわらず、一方的に私を赦し、受け入れてくださる主イエスを信じている。それが私の誇りであり、何よりも伝えたいことです。その神の愛を伝えるべく聖書を学び、福音を伝える者に整えられていきたいと願っています。

大野 夏希

2016年6月5日日曜日

晴佐久昌英神父 講演会

 昨日6月4日は2016年度東京地方連合北ブロック女性の集いで晴佐久昌英(はれさく・まさひで)神父をお迎えし、講演会を行いました。
 東京地方連合の北ブロックとは東京の北地区にあたる12の教会で、女性連合では世界宣教や被災地、またバプテスト連盟の神学校のために祈り献金をささげ、ともに交流をしながら協力しあっています。
 「日本の教会はまだ始まったばかり」と題しての講演会は、多くの笑いに包まれながらも、福音宣教の情熱をかきたてられるエネルギーに満ちたものでした。
 「『あなたは神さまに愛され、救われている!』という福音を語らないわけにはいかない。もっと教会は外に向かって開かれるべき。勇気を出して、伝えたいという熱い思いをもって語れば絶対に伝わる」というメッセージに力づけられ、改めて神さまが愛するわが子を探し求めている切迫感と憐みに心うたれました。この神のこころを自分自身のこころとして、口を開き福音を語っていきたいと思わされました。
 講演の後は、お茶を飲みながらの交わりの時です。各教会の現状の報告や祈りのアピールがされ、それぞれの教会が奮闘しながら懸命に神に仕えている姿を垣間見ることができ、ともに祈り霊に燃やされて福音宣教のわざに仕えていきたいと思われました。

大野 夏希

~晴佐久神父プロフィール~

1957年生まれ。
カトリック信者の良心のもと、教会大好きな少年として育つ。少年時代の後半は、多摩地区のカトリック教会の青少年の交流・活動の場であった「多摩ブロック」に積極的に関わる。東村山の彼の自宅は、多くの人々が集う一大拠点となる。
上智大学神学部、東京カトリック神学院卒。1987年司祭になる。
エッセイ集、詩集、絵本、日めくりカレンダー、説教集、信仰入門書など著書多数。近著に「福音宣言」「幸いの書」「十字を切る」「キリスト教のリアル」などがある。2009年よりカトリック多摩教会主任司祭。2016年4月よりカトリック上野教会、カトリック浅草教会主任司祭。
美術、音楽、映画、演劇が大好きで、毎夏の無人島生活は28年目。
キリスト教ラジオ番組FEBC Onlineで、毎週主日ミサ説教がアップされている(『あなたは救われた―「主日福音」ミサ説教から』)。

カトリック上野、浅草教会HP
http://www7b.biglobe.ne.jp/~asakusa-ueno-catholic-church/

FEBC Online
http://www.febcjp.com









2016年5月3日火曜日

主の息から漏れるものは何もない

「主の息から漏れるものは何もない」2012年被災地支援コンサートライブ版)
https://youtu.be/biVz1kzRRQQ

主の息が愛であり、広さ、深さ、重さ、美醜、思い、創造物のすべてを漏らさず愛し、祝福して永遠に治めて下さることを、新しい言葉でうたっています。(日本賛美歌学会発行“Jumping Jesusより)

この曲に出会ったのはちょうど3・11の震災のあとでした。
私達が今まで歌って来た賛美歌はほとんどが神様への賛美や祈りを歌ったものでしたが、この曲は神様から私達への深い慰めの言葉であるように感じました。
ニュージーランドの賛美歌作家Colin Gibson(1933~  )のこの曲は1996年に世に出されました。その後オーストラリア、アメリカ、アジア、そしてイギリスからアフリカへと広められました。

2011年の震災の直前2月25日にこの曲の生まれたニュージーランドも大きな地震に見舞われ、日本人の留学生も犠牲になりました。犠牲者を覚えて国を挙げての超教派の慰霊集会で「主の息から漏れるものは何もない」がうたわれました。私たち大泉聖歌隊も被災地の教会を訪ねての「慰めのコンサート」、毎年開催される「被災地支援チャリティ コンサート」でも必ずこの曲がうたわれます。  

聖歌隊 上杉道子


2016年4月10日日曜日

イースター2016

 今年のイースターは、長年教会の集会に集ってくださったご婦人のバプテスマ式があり、喜びが増し加わった礼拝でした。
 主イエスの復活の喜びが絶えることなく、私たちの心を支え続けてくれることを祈って。

「わたしたちは洗礼(バプテスマ)によってキリストとともに葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマ6:4)

 写真は礼拝で飾られたお花と、礼拝後配られたイースターエッグです。
 
大野 夏希



2016年3月26日土曜日

十字架

2016年3月20日 棕櫚の主日の説教です。
「十字架」 説教者 木村一充牧師 

2016年3月19日土曜日

渡辺和子著「心に愛がなければ」より(その2)

○カトリックのシスターである渡辺和子さんが、20数年前に著した上掲随筆集の中で、彼女が青年時代に修道女として歩んでいた頃、ある宣教師がプレゼントしてくれた次のような詩を紹介しておられます。この詩は、最近の「置かれた場所で咲きなさい」という彼女の本の典拠となった詩であります。

「神が置いてくださったところで 咲きなさい。


仕方がない、と諦めてでなく「咲く」のです。


「咲く」ということは、自分が幸せに生き、


他人も幸せにするということです。


「咲く」ということは 周囲の人々に、あなたの笑顔が


「私は幸せなのだ」ということを示して


生きるということなのです。」―――(以下略)

○この詩を与えられた当時の彼女は、ちょうど思いがけず指名された管理職の重みにたえかね て、「今の仕事さえなければ、今の立場にさえなければ……」と心の中に呟くことの多い日々の 只中にあったといいます。人間は一人ひとりが花であり、花の使命は咲くことにあります。人間の 自由とは思うままにならない諸条件から解放される事でなく、それらの諸条件をどのように自分 を活かすために受けとめてゆくかということにおける自由なのだ、ということを、この詩を通して気付かされたと渡辺和子さんは言います。
○「安易な人生を願うよりも、どんな人生でも笑顔で乗り切る強い人になりなさい。自分にふさわしい仕事を願うよりも、与えられた仕事を果たすに必要な力を祈り求める人になりなさい。」
これは、ある年の卒業式で彼女が学生たちに送った言葉です。「この言葉は私自身の祈りの言
葉に他ならなかった」と彼女は告白していますが、世代に関係なく心に深く刻みたい言葉です。

(木村一充牧師)

2016年2月28日日曜日

2016年2月18日木曜日

2016年2月6日土曜日

渡辺和子著「心に愛がなければ」より

○カトリックのシスターである渡辺和子さんの上の本の中に、彼女がはじめて「天使祝詞」という聖母マリヤへの祈りを習ったとき、その終わりの方に「今も、臨終の時もわれらのために祈りたまえ」という言葉があってその「臨終の時も」という言葉が大切だと教えられ、その意味が若い時はよくわからなかったとあります。死に際にそう祈るのなら分かるが、元気な時、なぜ毎日のようにそう祈らねばならないのかと……
○この疑問について、渡辺さんはマザー・テレサのインドでの奉仕活動から学ぶことでその理由がわかったと言います。マザーが、臨終が近いと思われる人々を「死を待つ人の家」に連れて行って、その最後を見取るという奉仕をしていたとき、「なぜ生き返る見込みのある人にしないのか。手当てをしてもどうせ死ぬに決まっている人に対して、薬や手間がもったいないではないか」と言う人があらわれた。それに対してマザーは、「人間にとって生きることも大切だが、死ぬこと、それもよく死ぬことはもっと大切です」と答えたというのです。
○出生の時から「望まれない子」として生まれ、邪魔者扱いをされ、穀つぶしと呼ばれて一生を過ごした人にとっては、それまでに生きる意味や価値を見失い、自分は生まれなかった方が良かったのではないか、というような思いを抱いた事もあったはずです。そんな彼らが、人生の最後の時、死の直前に大切にされることで「生きてきてよかった」と一瞬でも思えたら、それは「よく死ぬ」以外の何ものでもありません。
○一人の日本人医師がインドに行き、カルカッタでマザーの奉仕をつぶさに見て、そこで一緒に働いたのちに、帰国してこう呟いたといいます。「マザーのところには見るべき医療はなかったが、真の看護があった」これは心に残る言葉です。
(木村一充牧師)