2017年11月28日火曜日

主の栄光の器 ~ 北田康広コンサート

澄み切った秋の青空に朗々と響く神の声……北田康広さんの歌声にそのような印象を受けた。11月12日午後に大泉バプテスト教会で催されたコンサート には予想以上に多くの方がいらして盛況だった。お招きいただいた主に感謝。
意外な出会いもあった。私の高校の在校生でご両親が牛込教会の牧師をしている方がいる。前日に保護者会があり催しを紹介したら、なんと牧師夫人は北田夫妻と同じ武蔵野音大ピアノ科出身。最前列で聴いて、旧交を温めていらした。
「荒城の月」「見上げてごらん夜の星を」など懐メロも良く、ピアノも見事だったが、真骨頂は讃美歌の数々。神の恩寵を感じさせる明朗な賜物の声に感動。 嬉しかったのは私のブログと同じ題の「紫の衣」という歌。名曲だ。泣けた。
♪紫の衣 いばらのかむり 血を流すまでに 鞭打たれ 静かに耐えられる その姿
なぜに主よ あなたは すべてを捨ててまで この私を 愛されたのです?
(作詞作曲 谷有恒)
「先生、この人が目が見えないのは、本人が罪を犯したからですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の栄光がこの人に現れるためである。」(ヨハネ伝)
主がこの取っ手のない土の器を選ばれて、この賜物を下された神意に思い至る。歌の合間に関西弁で親父ギャグを交えて語る証から、楽しいユーモアと裏腹に、重い試練と闘ってこられた不屈の精神を伝えられ、励まされる思いがした。
もうひとつ感心したのは、点字の働きだ。点字により学びの道が広く開かれた。長年点字に携わってきた尾崎兄との親交もあったと後で聞いた。私の学校に全盲の生徒がいて毎日点字のお世話になっている。これもまた神の賜物だろう。

大田雅一




2017年11月10日金曜日

星野富弘美術館を訪問して

台風一過の秋晴れとなった10月30日(月)の朝、私たちは群馬県みどり市の星野富弘美術館を目指し車で教会を出発しました。お昼前には現地に到着。わたらせ渓谷には虹がかかり、富弘美術館は私たちを優しく迎えてくれました。
星野さんは、中学の体育の教師として赴任した年(24歳)の6月に体育の指導中に頸椎を骨折、手足の自由を失います。「絶望から彼を救い上げたのは母の献身的な介護であり、いくつかの詩人の言葉であり、信仰でした。」先輩が置いていった一冊の聖書から神様と出会ったのでした。そして筆を口にくわえて、文字と絵を描き始めます。「彼の心をくぐりぬけて生まれた絵と詩は、静かにそしてやさしく、力強く『生きろ』と語りかけてくる。」のです。
星野さんは70歳を過ぎた今も創作活動を続けておられます。著書「愛、深き淵より」「風の旅」「鈴の鳴る道」等の著書は英訳され国内外で読まれ、作品は多くの教科書にも掲載されています。全国各地また海外で開かれる詩画展は見る人に深い感動を与え続けています。(パンフレットより)
これまで本や絵葉書で見てきた富弘さんの作品が、こんなにも美しい自然から生まれたということを知るとともに、一つ一つの作品がそっと私に囁いてくれました。「神様がいるんだもの、大丈夫」。6人はそれぞれに安らぎと宝物をいただいて帰途につきました。























「ペんぺんぐさ」

神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら、
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が本当に 来るような気がした (1979年)


「小さな実」

私にできることは 小さなこと
でも それを 感謝してできたら
きっと 大きなことだ (1993年)


「なんとかなるさ」

苦しくて どうしようもない時
いつもうかんでくる ことばがあった
神様がいるんだもの
なんとかなる
そして いつも なんとかなった (2014年)



木村まどか