今月の讃美歌は、「それは愛」という曲です。
「神が人として生まれたもう それは愛」というフレーズから始まる讃美歌。
聖書では、イエス・キリストが人となって生まれたことは、神の愛の現れであると言います。
神であるキリストは、人となったことによって、人間の痛み、苦しみ、孤独、悲しみをあますことなく経験されました。それは、神が私たちから遠く離れてはいないことを示すためであり、神が私たちとともにおられる共感者、理解者であることをその生涯をもって、あかしするためでした。
彼が味わった苦しみの頂点は、十字架による処刑でした。人間となったことによって、「死」がない神では決して味わうことのない領域に足を踏み入れたのです。
試練に遭う時、自分の苦しみだけがすべてになってしまっている時、私たちは思い起こすのです。
私より、もっと痛まれた方がいた。私より、もっと見捨てられた方がいた。私よりもっと、絶望を知った方がいたことを。
彼を苦しめたのは彼が愛してやまなかった人間たちだったのに、御子イエスは彼らを赦されたのです。そして、今生きている私たちの罪も。
誰よりも苦しまれた方が、誰よりも愛することをやめなかった。そのことを知る時、どんな試練の中でも、立ち上がる力が与えられるのです。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(第一ヨハネ4:10)
「それは愛」
https://www.youtube.com/watch?v=X-IzMspxmwQ
2015年7月6日月曜日
2015年6月22日月曜日
我さえも愛したもう
今月の讃美歌は、「我さえも愛したもう」です。
ゆったりした三拍子の曲。2つのパターンの曲調が繰り返されるので、その変化も楽しんでいただきたいです。
「我さえも愛したもう」という言葉には、「自分のようなみじめな者を愛してくださる神」への賛美がこめられています。自分という存在のはかなさやおろかさに気づくとき、それにも関わらず愛してくださる神への感謝があふれます。
「我さえも愛したもう」
https://www.youtube.com/watch?v=aKiRV53f-sY
ゆったりした三拍子の曲。2つのパターンの曲調が繰り返されるので、その変化も楽しんでいただきたいです。
「我さえも愛したもう」という言葉には、「自分のようなみじめな者を愛してくださる神」への賛美がこめられています。自分という存在のはかなさやおろかさに気づくとき、それにも関わらず愛してくださる神への感謝があふれます。
「我さえも愛したもう」
https://www.youtube.com/watch?v=aKiRV53f-sY
2015年6月20日土曜日
COME ON! ユースワーシップ
6月28日6月第4週の礼拝は、ユースワーシップ(青年会主催礼拝)です。
司式、献金、奏楽などの奉仕を青年たちが担うほか、ユースクワイヤによる賛美もあります。この週は神学校週間なこともあり、現役神学校生のあかし(信仰生活における個人的な体験を語ること)もあります。
さらに、説教者として奈良キリスト教会の協力牧師 横井道継先生をお招きしています。青年への励ましのメッセージを語っていただく予定です。
詳しいご案内はこちらからもご覧になれます。
是非ユースの年代の方々に来ていただきたいと思っています。教会が初めての方も歓迎です。お誘いあわせの上、お運びください。
司式、献金、奏楽などの奉仕を青年たちが担うほか、ユースクワイヤによる賛美もあります。この週は神学校週間なこともあり、現役神学校生のあかし(信仰生活における個人的な体験を語ること)もあります。
さらに、説教者として奈良キリスト教会の協力牧師 横井道継先生をお招きしています。青年への励ましのメッセージを語っていただく予定です。
詳しいご案内はこちらからもご覧になれます。
是非ユースの年代の方々に来ていただきたいと思っています。教会が初めての方も歓迎です。お誘いあわせの上、お運びください。
2015年6月19日金曜日
「土曜子ども集会」へのおさそい
7年目となりました「土曜子ども集会」。
今年度は年3回です。(6月、11月、2月)
絵本の読み聞かせの他、トーンチャイム演奏や体験、工作遊びを入れていきます。
今年度1回目は来る6月27日(土)です。
みなさんのおこしをおまちしています。
いっしょにたのしくあそびましょう。
とき:第4土曜日11時~12時
ばしょ:大泉バプテスト教会会堂
対象:幼児~小学生低学年(大人のかたもぜひどうぞ!)
2015年5月5日火曜日
飼い主我が主よ
今月の聖歌隊賛美は「飼い主我が主よ」。
聖書ではしばしば神を羊飼い、人間を羊に例えています。羊飼いである主イエスが我々を守り、導いてくださるという祈りの歌です。ハミングから始まり、次第にフォルテで高音が歌いあげられていくところは、言葉にならないつぶやくような祈りが、確信に満ちた信仰告白へと昇華され天に立ち上って行くようです。
「飼い主我が主よ」
https://www.youtube.com/watch?v=vZF8Rsi0_po&feature=youtu.be
聖書ではしばしば神を羊飼い、人間を羊に例えています。羊飼いである主イエスが我々を守り、導いてくださるという祈りの歌です。ハミングから始まり、次第にフォルテで高音が歌いあげられていくところは、言葉にならないつぶやくような祈りが、確信に満ちた信仰告白へと昇華され天に立ち上って行くようです。
「飼い主我が主よ」
https://www.youtube.com/watch?v=vZF8Rsi0_po&feature=youtu.be
2015年4月19日日曜日
イエスがいなければ
聖歌隊の賛美を月に1回ぐらいのペースでご紹介していきたいと思います。今月の賛美は、「イエスがいなければ」です。
かのエルビス・プレスリーが歌ったことで世界的に有名になった賛美歌です。
「イエスがいなければ何もできない。荒波に揺れる帆のない舟のよう」。
クリスチャンにとって、キリストは人生の羅針盤であり、すべての力の源なのですね。
「イエスがいなければ」
https://www.youtube.com/watch?v=z9Wacdts2tw&feature=youtu.be
かのエルビス・プレスリーが歌ったことで世界的に有名になった賛美歌です。
「イエスがいなければ何もできない。荒波に揺れる帆のない舟のよう」。
クリスチャンにとって、キリストは人生の羅針盤であり、すべての力の源なのですね。
「イエスがいなければ」
https://www.youtube.com/watch?v=z9Wacdts2tw&feature=youtu.be
2015年4月5日日曜日
イースター2015
本日はイースター礼拝でした。
近年ではディズニーランドや商業施設などでもイースターの言葉を耳にすることが多くなりましたが、その意味はご存知でしょうか。
イースターのことを日本語では復活祭と言います。イエス・キリストは十字架にかかって処刑されましたが、3日目によみがえりました。その復活を記念する礼拝なのです。
イースターは「春分の日から数えて最初の満月の日の次の日曜日」と定められていますので、年によって日にちが違います。
大泉教会ではイースター礼拝の中で「召天者記念式」を執り行います。キリストの復活は死者のよみがえりの初穂であり、死者が死んだ後によみがえることをあかししてくれたという聖書の記述に基づいたものです。
大泉教会で葬儀を行った方々が読み上げられ、写真を見ながら故人をしのび、また彼らが復活することを改めて思いめぐらすと同時に、自分自身も主イエスにあって永遠のいのちに生かされていることに感謝する時です。この召天者記念式のために、普段は礼拝に来られない故人のご家族などもいらっしゃいます。今年も大勢の近親者の方々がおいでになりました。
聖書では「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今も罪の中にいることになります。」(第一コリント15:17)と言いきるほど、このキリストの復活を信じる信仰はキリスト教信仰の根幹を成すものであり、クリスチャンの希望です。それは、死んでも天国に行くという死後の話にとどまりません。復活は私たちの罪が赦され、神との断絶をもたらした「霊的死」をも打ち砕かれたことの保証であるからです。復活によって私たちは神との豊かな交わりと愛の中に生きることができるようになったのです。
今年のイースターは雨で肌寒い日でしたが、イースターの喜びはいささかも損なわれてはいませんでした。新年度の始まりとともに、主イエスの復活を祝うことのできた恵み深い時でした。
近年ではディズニーランドや商業施設などでもイースターの言葉を耳にすることが多くなりましたが、その意味はご存知でしょうか。
イースターのことを日本語では復活祭と言います。イエス・キリストは十字架にかかって処刑されましたが、3日目によみがえりました。その復活を記念する礼拝なのです。
イースターは「春分の日から数えて最初の満月の日の次の日曜日」と定められていますので、年によって日にちが違います。
大泉教会ではイースター礼拝の中で「召天者記念式」を執り行います。キリストの復活は死者のよみがえりの初穂であり、死者が死んだ後によみがえることをあかししてくれたという聖書の記述に基づいたものです。
大泉教会で葬儀を行った方々が読み上げられ、写真を見ながら故人をしのび、また彼らが復活することを改めて思いめぐらすと同時に、自分自身も主イエスにあって永遠のいのちに生かされていることに感謝する時です。この召天者記念式のために、普段は礼拝に来られない故人のご家族などもいらっしゃいます。今年も大勢の近親者の方々がおいでになりました。
聖書では「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今も罪の中にいることになります。」(第一コリント15:17)と言いきるほど、このキリストの復活を信じる信仰はキリスト教信仰の根幹を成すものであり、クリスチャンの希望です。それは、死んでも天国に行くという死後の話にとどまりません。復活は私たちの罪が赦され、神との断絶をもたらした「霊的死」をも打ち砕かれたことの保証であるからです。復活によって私たちは神との豊かな交わりと愛の中に生きることができるようになったのです。
今年のイースターは雨で肌寒い日でしたが、イースターの喜びはいささかも損なわれてはいませんでした。新年度の始まりとともに、主イエスの復活を祝うことのできた恵み深い時でした。
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