本日の礼拝で幼児祝福式が執り行われました。
イエス・キリストは、子どもを大変愛されました。聖書には、イエスに祝福してもらいたいと連れて来られた子どもたちを弟子たちが叱りつける場面が出てきますが、イエスはそのような弟子たちに憤ったと書かれています。そして、子どもたちを自分のところに来させるように命じるとともに、「子どものようにならなければ神の国に入ることはできない」と教えたのです。
自分で自分の生活を切り開いていける大人は、自分自身をゆだねるということが困難です。神などなくても、自分の面倒は自分で見られるし、特に必要だとも感じないのでしょう。
しかし、子どもは大人の庇護がなくては一日も生活することができません。親にお金を稼いでもらい、食事を与えてもらい、住むところを提供してもらう。そのことに何の疑問も抱かず、親から与えてもらうことを恥だとも思いません。子どもたちは、与えてもらうことをただ感謝し、喜ぶことを知っています。もし、小さな子どもが「お父さん。もう僕にかまわないで。これからは自分の食事は自分でつくるし、そのための食費も稼ぐ。着る服も自分で買うから。どうぞお構いなく」と言ったらどうでしょうか。そんな子どもは不自然ですし、親ならば心を痛めて「なんでそんなことを言うのか。お父さんはお前にやってあげたいことがたくさんあるのに」と思うのではないでしょうか。
イエスは、神の前で多くの大人がこの不自然な子どものようであると言います。そして、私たちの霊的親である神に対して、「父なる神様。あなたが必要です。あなたにより頼みたいのです。祝福してください」と言う人が神に受け入れられ、天の国に招き入られるのだと言われるのです。
今日の幼児祝福式では4人の子どもたちが、恥じらったりおどけたりしながら、神の祝福に与りました。多くの大人たちの微笑みと拍手のなかで、祝福がシャワーのように降り注ぐのを感じることができました。これからますます困難な時代を生きていく子どもたち。たくましく、神の守りと恵みのうちを歩んでいってほしいと願います。
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