2015年12月30日水曜日

この方こそ救い主

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2:11)

 クリスマスはイエス・キリストが自分のために産まれてくださったことを感謝する365日です。
しかしながら日々の生活に追われ神への感謝を忘れがちな私たちは、改めてキリストの降誕の恵みの深さを思う時が必要です。
今年のイブ礼拝も、多くの人の賛美、祈り、奉仕がささげられ、心一つに救い主の誕生を祝いました。
 多くの痛ましい事件が起こった今年一年を振り返り、悲劇を悲劇のままで終わらせることのない大いなる御手のうちに導いてくださる神を信じる信仰を新たにさせられました。

 Merry Christmas & Blessed New Year!

大野 夏希






















2015年12月20日日曜日

クリスマスはあなたのために

 今年も救い主イエス・キリストの降誕を祝うクリスマス礼拝をささげました。
 私たちが普段目にするクリスマスは心浮き立たせる華やかなものですが、本当のクリスマスは派手できらびやかなものとは対極の貧しい馬小屋での出来事でした。
 旅先のベツレヘムで臨月を迎えたマリヤと夫ヨセフは、泊まる宿もなく、家畜小屋の洞窟で夜を明かしました。暗い家畜のにおいが鼻をつく厩(うまや)で、イエスはひっそりとお生まれになりました。出産を見守ったのは家畜たち、赤子を寝かせるゆりかごもなく飼い葉おけに寝かせられた姿は、世界の救い主とはおよそ似つかわしくないものでした。
 しかしこの誕生は、貧しさの底辺の人々のわびしさと心の暗闇を共有し、罪人の友となり、十字架の死をもって私たちを赦し、罪から救いだすための神の摂理でした。
 主イエスは、私たちを高みから見下ろし服従を強制する専制君主ではない。私たちとともに笑い、泣き、苦しみ、孤独にうめき、ともに生きてくださる方です。だからこそ、私たちはこの方を主と仰ぎ、礼拝するのです。
 悲しみにくれている人、孤独に襲われている人、生きる意味がわからなくなっている人にとって、世の中にあふれているクリスマスはまぶしすぎて、やるせないものですらあるかもしれません。
 しかし本当のクリスマスは、心の闇に苦しんでいるあなたの心に、差し込んでくる一条の光です。それはまぶしすぎて目をふさぎたくなるものではない。あなたの痛みにそっと寄り添うあたたかな愛と平安の光です。
 このクリスマスの平安と喜びがあなたの上に、私たちの上に、ありますように。
 メリークリスマス!

大野 夏希

 



2015年12月11日金曜日

どんな時にもやめてはいけないこと

今年日本バプテスト連盟女性連合の主題は「広く世界の状況を知る~祈りと行動へ」です。大泉教会女性会例会でも毎月唱和していますが、日頃新聞さえ溜めてしまう私にとっては大きすぎるテーマでもありました。そんな思いを抱えつつ天城で行われた女性連合総会・信徒大会に上杉姉と参加しました。(10/2123
大会講師の加藤誠先生(大井バプテスト教会牧師)が講演で語られた「どんな時にもやめてはいけないこと」は「祈ること」「賛美すること」でした。
「もし2000年前弟子たちが祈るために集まることをしなかったら、私たちは今聖書を読むことができたでしょうか?」 
副田正義初代牧師が地に突っ伏して祈ることをされなかったら大泉教会は建たなかったかもしれませんし、私は今どうなっていたのでしょう!
「私たちは『祈ることしか出来ない』と言いますが、沖縄のある牧師は『祈ってください。必ず神様は聞いてくださいます』と言われます。」私たちの祈りが必要とされていることを思いました。
加藤先生は「沖縄基地前でゴスペルを歌う会」を紹介され、「賛美歌を歌ってミサイルや戦闘機が止められるかと思うでしょう?でも、1960年代アメリカの公民権運動の時に“♪We Shall Overcome”と歌い続けたことが黒人への扉を開いたのです。」と語られました。賛美は行動だと思いました。 
私たちは先週、インドネシアやカンボジア、ルワンダ、シンガポール、インドプリ子どもの家などの国外伝道の働き、また国内伝道の前進、献身者が与えられるよう祈ってきました。「世界バプテスト祈祷週間」は今日で終わりますが、世界で起きている戦争、テロ、差別、貧困等にこれからも目を向け、真の平和を日々祈っていくことができますように。また、今日の礼拝で捧げられます献金が日本を含む世界各地で神様の働きのために豊かに用いられますように。「神様からの最も大きな贈りもの―――救い主イエスさま」を感謝しつつ。 

(木村まどか)

週報一面  2015年12月6日

2015年10月13日火曜日

「今、ここにいる意味」

このブログでは特別礼拝などの説教の音源もアップしていきたいと思っています。
かなりさかのぼったものになりますが、6月28日に行った青年会主催の特別礼拝の説教です。

説教者:奈良キリスト教会 横井道継牧師
説教題「今、ここにいる意味」

https://www.youtube.com/watch?v=yXguzzZeJww&feature=youtu.be

2015年10月12日月曜日

被災地仙台をめぐる聖歌隊伝道隊の旅

 9/26(土)~27(日)大泉教会聖歌隊が被災地を訪問しました。
聖歌隊は2002年以来他教会を訪問し礼拝の賛美奉仕と伝道コンサートを続けて来ましたが、3・11以来福島,郡山の教会を訪問したり、大泉教会での被災地支援コンサートを行ってきました。
 今年はぜひとも仙台方面をと願っていましたが仙台の二つの教会と被災者復興住宅での奉仕の機会が与えられたことは本当に感謝な事でした。
 26日(土)早朝に東京を発ち午後仙台長命ヶ丘キリスト教会でのコンサート、27日(日)4月以来無牧師となった南光台キリスト教会礼拝での木村牧師の説教と聖歌隊賛美奉仕の後、午後からは青葉区愛子(あやし)地区にある落合復興市営住宅に向かいました。
 コンサート可能な被災者住宅地探しでは現地の方々にご苦労をおかけしました。奔走くださったキリスト聖協団の中澤竜生先生,日本基督教団の川上直也先生はじめとして地元の社会福祉協議会、NPO支援組織etc.のかたがたのご協力で無事に「コーラス&カフェ」の集いができました。集会所の設定からチラシまきポスター作り、お茶やケーキの手配のほか、聖歌隊員の車での移送まで快く引き受けて下さいました。
 9月末とは思えないほど日差しの強い日曜の午後、落合復興市営住宅に囲まれた集会所には定員50名というところに70名もの方々が集ってくださいました。庭にはテントも張られ、集会所に入りきれないボランティアの方たちも開け放たれた集会所からの賛美に耳を傾けてくださいました。讃美歌以外に用意した「あかとんぼ」「ふるさと」などを会場の方たち全員で声を合わせました。
 コンサートが終わって会場は「カフェ」に早変わりし温かい雰囲気の中ケーキとお茶を前に被災者の方々から短い時間でしたが話しをお聞きする事ができました。「こんなに大きな声で歌ったのは初めて、とても気持ちが良かった」「楽しかった」「また来てください」と言う声が方々で聞かれました。
 「震災以来4年半、復興はまだまだ、被災者の心もまだ回復していないにも拘らず世の中の人々の記憶からどんどん忘れ去られていくようで残念です。」というある支援団体の方の言葉が重く心にのこりました。

多くの恵みと喜びと感謝を受けたなかで、再度「東北を忘れない!」の思いを強くした旅でした。 (聖歌隊長 上杉道子記)



2015年9月22日火曜日

サマーキャンプ2015

 82223日に12日のファミリーキャンプに行ってきました。場所は静岡県伊豆市湯ケ島にあるバプテスト連盟の宿泊施設「天城山荘」です。20代~80代の老若男女15名が参加しました。
 教会から3台の車に分乗して出発。事前のコース設定説明を聞いていたけれど無視したのか、それとも聞いていなかったのかは謎ですが、それぞれの車が高速に乗るコースを勝手に変更し自由に走った結果、かなりの時間のずれがありましたが、途中事故渋滞に漏れなく引っ掛かったことで海老名パーキングエリアで無事に落ち合い、予定通りに到着と相成りました。
 天城山荘でのキャンプは以前にも行ったことがあり、今回は19年ぶりの利用となります。初めに
開会礼拝で今回のテーマ『神の家族―キリストを頭として』(エフェソ31419節)から【キリストの
愛を知る群れ】と題してメッセージを頂きました。その後、グループに分かれての学びと発表、合間
に楽しいゲームやクイズ等もあり、笑いが絶えない時間を過ごしました。
 日曜日は早天祈祷会・教会学校・朝の川辺の散策も行いました。大自然の中で神様の存在を近
く感じる喜びを味わうとともに、山荘のスタッフの方々に用意していただいたおいしい食事に舌鼓を
打ち、心身ともにリフレッシュされた時となりました。


大野 夏希









2015年7月6日月曜日

それは愛

 今月の讃美歌は、「それは愛」という曲です。
「神が人として生まれたもう それは愛」というフレーズから始まる讃美歌。
 聖書では、イエス・キリストが人となって生まれたことは、神の愛の現れであると言います。
 神であるキリストは、人となったことによって、人間の痛み、苦しみ、孤独、悲しみをあますことなく経験されました。それは、神が私たちから遠く離れてはいないことを示すためであり、神が私たちとともにおられる共感者、理解者であることをその生涯をもって、あかしするためでした。
 彼が味わった苦しみの頂点は、十字架による処刑でした。人間となったことによって、「死」がない神では決して味わうことのない領域に足を踏み入れたのです。
 試練に遭う時、自分の苦しみだけがすべてになってしまっている時、私たちは思い起こすのです。
 私より、もっと痛まれた方がいた。私より、もっと見捨てられた方がいた。私よりもっと、絶望を知った方がいたことを。
 彼を苦しめたのは彼が愛してやまなかった人間たちだったのに、御子イエスは彼らを赦されたのです。そして、今生きている私たちの罪も。
  
 誰よりも苦しまれた方が、誰よりも愛することをやめなかった。そのことを知る時、どんな試練の中でも、立ち上がる力が与えられるのです。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(第一ヨハネ4:10)

「それは愛」
https://www.youtube.com/watch?v=X-IzMspxmwQ

2015年6月22日月曜日

我さえも愛したもう

 今月の讃美歌は、「我さえも愛したもう」です。
 ゆったりした三拍子の曲。2つのパターンの曲調が繰り返されるので、その変化も楽しんでいただきたいです。
 「我さえも愛したもう」という言葉には、「自分のようなみじめな者を愛してくださる神」への賛美がこめられています。自分という存在のはかなさやおろかさに気づくとき、それにも関わらず愛してくださる神への感謝があふれます。

「我さえも愛したもう」
https://www.youtube.com/watch?v=aKiRV53f-sY

2015年6月20日土曜日

COME ON! ユースワーシップ

 6月28日6月第4週の礼拝は、ユースワーシップ(青年会主催礼拝)です。
 司式、献金、奏楽などの奉仕を青年たちが担うほか、ユースクワイヤによる賛美もあります。この週は神学校週間なこともあり、現役神学校生のあかし(信仰生活における個人的な体験を語ること)もあります。
 さらに、説教者として奈良キリスト教会の協力牧師 横井道継先生をお招きしています。青年への励ましのメッセージを語っていただく予定です。
 詳しいご案内はこちらからもご覧になれます。

 是非ユースの年代の方々に来ていただきたいと思っています。教会が初めての方も歓迎です。お誘いあわせの上、お運びください。

 

2015年6月19日金曜日

「土曜子ども集会」へのおさそい

7年目となりました「土曜子ども集会」。 
今年度は年3回です。(6月、11月、2月)
絵本の読み聞かせの他、トーンチャイム演奏や体験、工作遊びを入れていきます。
今年度1回目は来る6月27日(土)です。
みなさんのおこしをおまちしています。
いっしょにたのしくあそびましょう。

とき:第4土曜日11時~12時
ばしょ:大泉バプテスト教会会堂

対象:幼児~小学生低学年(大人のかたもぜひどうぞ!)

2015年5月5日火曜日

飼い主我が主よ

 今月の聖歌隊賛美は「飼い主我が主よ」。
 聖書ではしばしば神を羊飼い、人間を羊に例えています。羊飼いである主イエスが我々を守り、導いてくださるという祈りの歌です。ハミングから始まり、次第にフォルテで高音が歌いあげられていくところは、言葉にならないつぶやくような祈りが、確信に満ちた信仰告白へと昇華され天に立ち上って行くようです。

「飼い主我が主よ」
https://www.youtube.com/watch?v=vZF8Rsi0_po&feature=youtu.be

2015年4月19日日曜日

イエスがいなければ

 聖歌隊の賛美を月に1回ぐらいのペースでご紹介していきたいと思います。今月の賛美は、「イエスがいなければ」です。
 かのエルビス・プレスリーが歌ったことで世界的に有名になった賛美歌です。
「イエスがいなければ何もできない。荒波に揺れる帆のない舟のよう」。
 クリスチャンにとって、キリストは人生の羅針盤であり、すべての力の源なのですね。

「イエスがいなければ」
https://www.youtube.com/watch?v=z9Wacdts2tw&feature=youtu.be

 

2015年4月5日日曜日

イースター2015

本日はイースター礼拝でした。
近年ではディズニーランドや商業施設などでもイースターの言葉を耳にすることが多くなりましたが、その意味はご存知でしょうか。
イースターのことを日本語では復活祭と言います。イエス・キリストは十字架にかかって処刑されましたが、3日目によみがえりました。その復活を記念する礼拝なのです。
イースターは「春分の日から数えて最初の満月の日の次の日曜日」と定められていますので、年によって日にちが違います。
 大泉教会ではイースター礼拝の中で「召天者記念式」を執り行います。キリストの復活は死者のよみがえりの初穂であり、死者が死んだ後によみがえることをあかししてくれたという聖書の記述に基づいたものです。
 大泉教会で葬儀を行った方々が読み上げられ、写真を見ながら故人をしのび、また彼らが復活することを改めて思いめぐらすと同時に、自分自身も主イエスにあって永遠のいのちに生かされていることに感謝する時です。この召天者記念式のために、普段は礼拝に来られない故人のご家族などもいらっしゃいます。今年も大勢の近親者の方々がおいでになりました。

 聖書では「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今も罪の中にいることになります。」(第一コリント15:17)と言いきるほど、このキリストの復活を信じる信仰はキリスト教信仰の根幹を成すものであり、クリスチャンの希望です。それは、死んでも天国に行くという死後の話にとどまりません。復活は私たちの罪が赦され、神との断絶をもたらした「霊的死」をも打ち砕かれたことの保証であるからです。復活によって私たちは神との豊かな交わりと愛の中に生きることができるようになったのです。
 

 今年のイースターは雨で肌寒い日でしたが、イースターの喜びはいささかも損なわれてはいませんでした。新年度の始まりとともに、主イエスの復活を祝うことのできた恵み深い時でした。





 

2015年3月21日土曜日

聖歌隊の賛美

 大泉バプテスト教会は、聖歌隊が毎週の礼拝を始め、イースター、クリスマスなどの行事なども大きな役割を担っています。
 人数は多いとは言えませんが、30年に渡って大泉教会の礼拝を支えてきた歌声は歴史を感じさせる深みのあるものです。
 このブログでは、聖歌隊の音源も定期的にアップしていきたいと思っています。


 今日ご紹介する曲は、「新しき歌もて」と「祈りに応えたもう」の2曲です。
 新しき歌もては、詩篇98編をそのまま歌にしたものです。ソロも入った聞きごたえのある曲になっています。
 「祈りに応えたもう」はオルガンの前奏から始まる聖歌らしい曲です。


 
 

2015年3月1日日曜日

大泉教会50周年賛美歌

 大泉教会は3月1日に創立52周年を迎え、創立記念礼拝をささげました。初代牧師副田正義師が開拓伝道の地として大泉の地を示され、19633月、最初の礼拝がささげられました。大泉学園は今でこそ駅前にはマンションが立ち、ロータリーが出来、便利になりましたが、当時は周りほとんどがキャベツ畑や大根畑、田んぼで、駅から富士山と教会を見ることができたと言います。
 創立記念礼拝の中で二つの記念賛美歌を歌いましたがそのひとつをご紹介します。これは2年前、教会創立50周年を感謝して作られたものです。
 主の示された大泉の地に  作詞:上杉道子 作曲:石川宣子
 (音源はこちら。 https://www.youtube.com/watch?v=tLJjJdQdzR8
1.
主の示された 大泉の地に
まかれた種の ひとつひとつ
悩みのときは よろこびに
変えて下さった 主の恵み
2.
ともに手をとり 歩む五十年
主の日を感謝し 賛美して
かなしみの日は 光へと
変えて下さった 主の力
3.
信仰新たに のぞみ高く
十字架見上げて 進みゆく
主の励ましに こころ燃え
あすの教会に 主のまもり
  無牧師の時や困難な時もありましたが、今こうして大泉の地に根をおろし、たくさんの恵みの中で53年目を歩めますことを心から感謝いたします。これからも地域に開かれた教会としてイエス・キリストの愛を伝えていきたいと思います。 












  

2015年2月28日土曜日

ソロモンの雅歌(2月15日説教) 

「恋しい人は言います。『恋人よ、美しいひとよ。さあ、立って出ておいで。ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ。さあ、立って出ておいで。岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ。姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。』
狐たちをつかまえてください。ぶどう畑を荒らす小狐を。わたしたちのぶどう畑は花盛りですから。恋しいあの人はわたしのもの。わたしはあの人のもの。ゆりの中で群れを飼っている人のもの。夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に、恋しい人よ、どうか、かもしかのように、若い雄鹿のように深い山へ帰って来てください。」(雅歌2:10-17


雅歌はソロモン王が作ったと伝えられる優雅な恋の歌です。新共同訳では歌の言葉の前に「おとめの歌」「若者の歌」「合唱」とあり、オペラのようにパートが決まっています。もとは結婚式で歌われた祝婚歌だといわれます。今日のところは「おとめの歌」で花嫁から見た歌です。若者が「美しい恋人よ、ぼくの元においで」と優しく呼びかけます。自然の風景の描写が美しく詩的です。イスラエルでも二月が終わる頃、雨季が終わって短い春が来ます。神の造られた美しい自然も春、人間にも人生の春が訪れます。舞台は果樹園で子孫の繁栄もイメージされています。このあとおとめから若者に応答のことばがあります。狐たちをつかまえてください。すなわち、恋の旅路を邪魔する者をつかまえてください、と。そして続けます。「恋しいあの人はわたしのもの。わたしはあの人のもの。」イスラエルでは今も結婚式の新郎新婦の誓いのときにこの言葉が読まれるそうです。夫婦は一心同体となるのです。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世2:24
ハッピーエンドのようですが、最後の言葉は寂しげです。若い時はお互いに熱烈に恋愛して一緒になっても、年を取るにつれて心が離れていく。人生の夕べに夜の闇が訪れる時まで、お互いに助け合い愛し合う夫婦でいたいですね。

 さて、雅歌をラブソングとして読んできましたが、それだけでは正典の聖書には載らなかったでしょう。おとめと青年は何かのたとえではないでしょうか。おとめをイスラエルの民としたら、青年はソロモンのような王であり、さらには人間を治める王、主なる神です。おとめが青年を慕うように熱烈な愛をもって、心を尽くし思いを尽くして、イスエラルの民が主なる神を愛する、そして主なる神も、ご自分の民である私たちを愛してくださる。しかしそれは旧約の民、ユダヤ教徒の場合です。私たち新約の民、クリスチャンをおとめとすれば、恋しいお方とはどなたですか。教会を「キリストの花嫁」とたとえます。救い主イエス・キリストの花嫁が、私たちの教会ということです。青年イエスは独身でいらした。人々のため日夜働かれ、結婚をするひまもありませんでした。教会のことを「キリストの体」とも言います。主イエスは、この世で成し遂げたかった平和を実現し、伝えたかった愛の教えを人々に伝えていくために、この世に教会を与えられました。私たちは、キリストの花嫁である教会を守り、主イエスにお仕えしていきましょう。

(説教者 大田雅一協力牧師) 

2015年2月1日日曜日

2015年度「親子で遊ぼう」募集

大泉教会では、「親子で遊ぼう」という就園前(23歳)のお子さんを持つお母さん同士の交流と、育児に関する情報の交換などの場を提供していくという事で始まった親子の集いを行っています。1998年に発足し、300組以上の方が教会に集い楽しく過ごしてきました。
3名のリーダーとわらべうたや工作、うたあそびや読み聞かせなどを楽しみます。夏には「プール遊び」や「夏祭り」、12月には会堂でクリスマス礼拝、教育館での持ち寄りパーティーでクリスマスのお祝いをします。
 
 年間20回という限られた時間の中ですが、教会ならではのプログラムで就園前の1年間を豊かに過ごしていただくことができたらと願っています。
 2015年度の申込み受付が2月3日より始まります。
 小さなおともだちとお母さまのお越しを心からお待ちしています。 
 もちろんお父さま、おじいさま、おばあさまも大歓迎!です。