先週の日曜日から1週間、大泉教会では神学校週間の時期を過ごしました。全国に3つある日本バプテスト連盟の神学校を覚えて祈り、献金をささげる時です。毎年現役神学生のあかし(信仰生活で教えられたことや救われた体験を語ること)がなされ、ともに神の恵みを喜びあいます。
2回の記事に分けて、おととしと今年のあかしをアップしていきたいと思います。
私は大学を卒業してから、否が応でも祈らなければならないという強い迫りに押されて、毎日祈るようになりました。特別養護老人ホームでの不規則な勤務は多忙を極めましたが、不思議と毎日1時間、2時間と祈ることが習慣になっていきました。主イエスに心を注ぎだして祈り、ともに時を過ごすことは、至福の時間でした。
そんな日々を過ごすうち、私は日常的に心のうちに書きつけられるかのような「声」が聞こえるようになりました。その声に導かれるままに、私はひとりの不眠症の友人のために祈るようになったのです。1ヶ月ほど祈った時突然「彼女はいやされましたよ」という声を聞きました。「これは自分の願望が声となって聞こえたに過ぎない」。そう思いました。するとその3日後、何の前触れもなく彼女からメールが来たのです。メール不精の彼女は返事すらろくに返ってこない人でしたので、まず向こうからのメールが来たことに驚きました。実に半年ぶりのメールだったのです。「元気?」という文面の後に、「不眠症から解放された」とありました。私が衝撃を受けたことは言うまでもありません。彼女のために祈るように導かれているという感覚が自分の思い込みではなかった、この祈りが神のみこころにかなっていたということは、私に大きな励ましを与えました。そして神さまが彼女を愛し、いやしをもたらされたということを知り、これまでの神さまからの語りかけに心から感謝をささげたのです。
その後いろいろな方から「神さまがあなたを用いようとしている」という励ましのことばをいただき、自分自身の使命のために今まで以上に祈るようになりました。そして、与えられた聖書のことばが「あなたの耳は、背後から語られることばを聞く。これが行くべき道だ、ここを歩け、右へ行け、左に行け」と。」(イザヤ30:21)でした。そのことばによって、私は神さまからの啓示を何らかの形で伝える役目をゆだねられていると確信するにいたりました。
しかし、その時はまだ自分が牧師になるために動き出す時ではないと感じていました。福祉の仕事をしながら、私は神さまが、「行きなさい」と声をかけてくださるのを待っていました。その間、さまざまな信仰の闘いがあり、自分の不信仰や貪欲に嫌気がさしてうつ状態になり、「こんな私を誰が愛してくれるだろうか」「今この瞬間、自分のことを案じてくれる人などいるのだろうか」と自問するうちに、どんどん負のスパイラルから抜け出せなくなっていきました。しかし、そのような孤独と絶望の中で限界を迎えた時、神さまは私のために祈ってくださる方や私のために泣いてくれる友をそばに置いてくださいました。そして、私の心身は回復していったのです。
神さまが私を呼んでくださったのは、それからすぐのことでした。私は高齢者のデイサービスで相談員として働いていたのですが、職場の施設で何回かゴスペルコンサートをさせていただいていました。その時のコンサートでは、演奏の合間に短い聖書のメッセージをさせていただくと決め、語りだしたとたんに神が私たちにしてくださった恵みの大きさに、語っている私自身が心を揺さぶられました。そして、「私は福音を語らなければならない。この恵みを語らないわけにはいかない」という強い思いが湧き上がってくるのを感じました。そのとき神さまが福音を語り、啓示を解き明かす任務に就かせるための備えを整えられたことを全身で感じ取ったのです。そして、祈りながら学ぶことのできる神学校を探し、今にいたっています。
入学にいたるまでのプロセスを通して、神さまから教えられたことがあります。それは、人は何かができるから、愛される価値があるのではないのだということです。うつ状態だった私は、仕事もできず心の中は空虚で、神さまに喜ばれそうな要素は何一つありませんでした。私の中にはたくさんの罪と弱さが潜んでいます。にもかかわらず、一方的に私を赦し、受け入れてくださる主イエスを信じている。それが私の誇りであり、何よりも伝えたいことです。その神の愛を伝えるべく聖書を学び、福音を伝える者に整えられていきたいと願っています。
大野 夏希
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