2017年12月11日月曜日

女性クリスマス2017

 12月8日(金)は毎年恒例の女性会によるクリスマス会でした。30名以上の女性と男性も2人参加で賑やかな会となりました。
 第一部は、聖書学者であり、フェミニスト神学宣教センター共同ディレクターでもある山口里子さんより、「親から『失敗作』と言われた友人』と題してメッセージをしていただきました。
 脳性麻痺という障害を持って生まれた山口さんのご友人のAさんにまつわるお話でした。わずかに動かすことができるのは指だけで、生まれながらに寝たきりの生活を余儀なくされたAさんは、父親から小さい頃から「お前は失敗作だ」と言われて育ちました。身体が大きくなると介護が大変になるからと最低限の食事しか与えられず、排尿を極力しないよう十分な水分も摂らせてもらえませんでした。25歳で身体障害者施設に入所するまでそのような虐待を受け続けることになります。施設に入所したAさんは文字を書くことを覚え、多くの詩を書くようになりました。その詩に魅せられた入所者の人々がAさんのところに悩みを聴いてもらいたいとやってくるようになりました。そのような中、アルビノの障害を持った寮母のBさんと親しくなったAさんはBさんと交際を始め、Bさんが別の施設に移った後も文通を続けたのです。二人は実に300通もの手紙を交わし、愛を深めていったのでした。
 二人の結婚は家族を始め多くの人々から反対されました。しかし、二人は多くの困難を乗り越え、7年の交際を経て遂に結婚しました。Aさんはわずかに動く指を使って、洗濯物を干す道具などを発明しました。Aさんはそのような道具を使って家事をし、Bさんが働いて生計を立てるという生活をしながら、3人の子どもを育て上げたのでした!
 25年もの長い虐待を受けながらも希望を捨てることなく、多くの人を力づけ、障害に屈することなく神を仰ぎ続けたAさんの生涯に強く心を打たれ、涙があふれました。人がその人らしく力の限り生きる姿はなんと美しいのでしょうか。私たちが、他の誰でもない自分自身として自由に、ありのままを生きることができるように、主イエスは産まれてくださったのだと感謝したメッセージでした。
 第二部は「讃美歌を歌う会」による賛美、そして讃美歌を歌いながらクリスマスプレゼントの交換です。みんなそれぞれ自分にぴったりのプレゼントが回ってきたようで、感謝と笑いに包まれました。その後、持ちよりの愛餐会。20種類近くあったご馳走はあっという間になくなりました。心も身体も満たされ、心がホカホカになった会でした。

大野 夏希






2017年11月28日火曜日

主の栄光の器 ~ 北田康広コンサート

澄み切った秋の青空に朗々と響く神の声……北田康広さんの歌声にそのような印象を受けた。11月12日午後に大泉バプテスト教会で催されたコンサート には予想以上に多くの方がいらして盛況だった。お招きいただいた主に感謝。
意外な出会いもあった。私の高校の在校生でご両親が牛込教会の牧師をしている方がいる。前日に保護者会があり催しを紹介したら、なんと牧師夫人は北田夫妻と同じ武蔵野音大ピアノ科出身。最前列で聴いて、旧交を温めていらした。
「荒城の月」「見上げてごらん夜の星を」など懐メロも良く、ピアノも見事だったが、真骨頂は讃美歌の数々。神の恩寵を感じさせる明朗な賜物の声に感動。 嬉しかったのは私のブログと同じ題の「紫の衣」という歌。名曲だ。泣けた。
♪紫の衣 いばらのかむり 血を流すまでに 鞭打たれ 静かに耐えられる その姿
なぜに主よ あなたは すべてを捨ててまで この私を 愛されたのです?
(作詞作曲 谷有恒)
「先生、この人が目が見えないのは、本人が罪を犯したからですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の栄光がこの人に現れるためである。」(ヨハネ伝)
主がこの取っ手のない土の器を選ばれて、この賜物を下された神意に思い至る。歌の合間に関西弁で親父ギャグを交えて語る証から、楽しいユーモアと裏腹に、重い試練と闘ってこられた不屈の精神を伝えられ、励まされる思いがした。
もうひとつ感心したのは、点字の働きだ。点字により学びの道が広く開かれた。長年点字に携わってきた尾崎兄との親交もあったと後で聞いた。私の学校に全盲の生徒がいて毎日点字のお世話になっている。これもまた神の賜物だろう。

大田雅一




2017年11月10日金曜日

星野富弘美術館を訪問して

台風一過の秋晴れとなった10月30日(月)の朝、私たちは群馬県みどり市の星野富弘美術館を目指し車で教会を出発しました。お昼前には現地に到着。わたらせ渓谷には虹がかかり、富弘美術館は私たちを優しく迎えてくれました。
星野さんは、中学の体育の教師として赴任した年(24歳)の6月に体育の指導中に頸椎を骨折、手足の自由を失います。「絶望から彼を救い上げたのは母の献身的な介護であり、いくつかの詩人の言葉であり、信仰でした。」先輩が置いていった一冊の聖書から神様と出会ったのでした。そして筆を口にくわえて、文字と絵を描き始めます。「彼の心をくぐりぬけて生まれた絵と詩は、静かにそしてやさしく、力強く『生きろ』と語りかけてくる。」のです。
星野さんは70歳を過ぎた今も創作活動を続けておられます。著書「愛、深き淵より」「風の旅」「鈴の鳴る道」等の著書は英訳され国内外で読まれ、作品は多くの教科書にも掲載されています。全国各地また海外で開かれる詩画展は見る人に深い感動を与え続けています。(パンフレットより)
これまで本や絵葉書で見てきた富弘さんの作品が、こんなにも美しい自然から生まれたということを知るとともに、一つ一つの作品がそっと私に囁いてくれました。「神様がいるんだもの、大丈夫」。6人はそれぞれに安らぎと宝物をいただいて帰途につきました。























「ペんぺんぐさ」

神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら、
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が本当に 来るような気がした (1979年)


「小さな実」

私にできることは 小さなこと
でも それを 感謝してできたら
きっと 大きなことだ (1993年)


「なんとかなるさ」

苦しくて どうしようもない時
いつもうかんでくる ことばがあった
神様がいるんだもの
なんとかなる
そして いつも なんとかなった (2014年)



木村まどか

2017年10月8日日曜日

聖歌隊結成30周年を感謝して ~宇都宮バプテスト教会奉仕 

〇2002年に始まった聖歌隊伝道隊も今回で18番目の教会訪問になります。1986年結成以来、31年聖歌隊が今日まで続けて来られたのには宇都宮教会から来られた二人の方の大きなお働き抜きには考えられないことです。Aさん、そしてIさんには今に至るまでの長年のオルガン奉仕を心から感謝しています。
○発足当初聖歌隊には伴奏者がおらず大変心細い思いでした。間もなく当時音大生だったKさんが大泉教会に与えられ、聖歌隊は水を得た魚のように賛美奉仕に力がみなぎってきました。音大卒業後Kさんのアメリカ留学と入れ替わるように現伴奏者で牧師夫人のMさんが神戸教会から大泉教会に赴任、なんという神様の恵みでしょう。
○この感謝をぜひとも宇都宮教会の皆様にお伝えしたいと祈っていました。そんな折、昨年天城の女性大会聖歌隊奉仕で、偶然にも宇都宮教会の方と隣の席になりました。「宇都宮教会にも来て下さいますか?」。祈りが聞かれたのです。
○9月24日(日)築15年を経たとは見えない3階建てのエレベーターまである立派で美しい会堂が朝日に輝いていました。礼拝出席25、6名とはいえ成人科はバイブルクラスを含め3クラスがそれぞれ独特なクラス運営をしている様子でした。
〇目白教会のS先生から譲られたと言う100年物のリードオルガンが今は手も触れられずに片隅にひっそりと置かれていました。会堂に入るなりMさんが手を触れると何と、素晴らしい音を奏でるではありませんか。Mさんによって息吹が与えられたオルガンでの礼拝に会堂は喜びと感謝に満ち溢れました。

上杉道子




2017年10月3日火曜日

みんなでつくる賛美礼拝

去る9月3日(日)午後3時より音楽礼拝を開催しました。

「みんなで作る音楽礼拝」~被災地に想いをよせて~プログラム

前  奏   「地球のどこかで」による前奏曲              オルガン
招  詞    詩編149編1節      小羊会
賛  美   「地球のどこかで」(390)       小羊会&会 衆
祈  り   司会者
              ~~~~~
      美   「花も」                  独唱 
手話賛美   「ガリラヤの風かおる丘で」   讃美歌を歌う会       
   「キリストの平和」(平和の挨拶あり)           
      美  「愛されている」   独唱
フラ賛美    ♬ God Bless You ♬」  エインカレム
      ♬ 花は咲く                 
      美  「ああ主のひとみ」「ああ嬉しわが身も」   二重唱
      美  「You raise me up」    独唱
賛  美    「キリストには替えられません」    キャンプメンバー
              ~~~~~
聖  書   エペソの信徒への手紙5:18~21    司会者
説  教  「霊の歌を歌おう」   木村一充牧師
黙  想
      美  「The eace of God(神の平安)」   独唱
献  金 ~「我汝に呼ばわる、主イエス キリストよ」~  オルガン      
賛  美  「キリストの平和」                                    会 衆
祝  祷    木村一充牧師 
後  奏  「キリストの平和」               オルガン
                                          ~~~~~~ 
 
手話賛美には「讃美歌を歌う会」のみなさんが参加してくださいました。(写真:手話賛美)


「さあ、お隣の方と最高の笑顔で手話でご挨拶しましょう!」(写真:手話でこんにちは)


エインカレムによるフラ賛美(写真:フラ賛美)


富士吉田教会キャンプ参加メンバー20代~80代による賛美(写真:キャンプメンバー)


喜びに溢れた賛美礼拝でした。献金は被災地を覚えてお献げしました。 
木村まどか

2017年8月1日火曜日

ファミリーキャンプに参加して

○7月15日(土)から16日(日)まで、山梨県の富士吉田教会を会場に、ファミリーキャンプが行われました。今年度は、17人の兄弟姉妹とともに学びと交わりの時をもちました。
○今年度のキャンプのテーマは「キリストの体を立てる」、主題聖句「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分は、数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。(コリント一12:12)」を中心に学びました。
○開会礼拝では、主題聖句から木村牧師に説き明かしをしていただき、夜の分団での分かち合いでは、「教会は、どのような場所であるか」「教会をどんな場所にしていきたいか」という柱で話し合いを進めました。参加者の皆さんが共通して描いていた教会のイメージは、「教会が心安らぐ場所であること」でした。
○翌日は早天祈祷会、朝食の後、富士吉田教会の兄弟姉妹とともに礼拝を守り、教会学校で学びました。その後の昼食の時間も含め、大泉教会と富士吉田教会のよき交わりのときとなりました。
○2日間の日程で行われたキャンプは、兄弟姉妹との交わりが豊かにあったことが、参加者一人ひとりの心の中に、色鮮やかに残ったことと思います。周辺散策時間の温泉や山中湖畔ドライブ、桃狩りなど、自然の恵みを肌で感じることもできました。

浦田雅哉





2017年7月6日木曜日

「メディカルカフェ・ぶどうの木」 「がん哲学外来」理事長 樋野興夫先生をお迎えして

 昨年8月地域の人々に呼びかける伝道の一環として無料「教会カフェ」が始まりました。6月25日「教会カフェ」から発展的に「メディカルカフェ・ぶどうの木」の開催が実現に至った事は、神様から「病んでいる人、弱っている人」への呼びかけをいっそう促された思いがしています。
 「がん哲学外来」とは順天堂大学で腫瘍・病理学を研究されている樋野興夫医学博士が、「がんであっても尊厳を持って人生を生き切る事のできる社会」の実現を目指し「病気であっても病人ではない」をモットーに立ち上げた一般社団法人です。2008年開設以来全国的に大きな広がりをみせており、私達の「メディカルカフェ・ぶどうの木」も6月に「がん哲学外来」の一団体として正式に加盟が認められました。「がん哲学外来」講演のために東奔西走の日々を送られる樋野先生がこんなにも早い機会に大泉教会を訪問くださった陰には偶然だけとはいい切れない神様の導きがあったと確信しています。
 他教会からの参加者、求道者、新来者を含め41名が集いました。中でも電柱に貼られたポスターを見て参加されたがんと戦っている一組の若いご夫妻が樋野先生と熱心に面談をされている姿に、この機会が良き道しるべとなりますようにと祈らずにはいられませんでした。
 準備段階から終りまでさまざまお手伝い頂いた多くの方々に心から感謝すると共に、今必要とされている私たちの伝道の形を求めつつ推進役の伝道委員と教会員が共に「メディカルカフェ・ぶどうの木」の地道な活動を支える力となっていけるよう祈るものです。
上杉道子





2017年6月25日日曜日

愛することをやめられない

 本日より一週間、日本バプテスト連盟の教会では神学校週間という期間を持ちます。日本バプテスト連盟の3つの神学校「西南学院神学部」「東京バプテスト神学校」「九州バプテスト神学校」を覚え、神学生のために祈りと献金をささげる時です。
 本日の大泉教会の礼拝では東京バプテスト神学校の専攻科で学んでいる神学生が説教を担当しました。説教原稿を以下に記載します。


「愛することをやめられない」ホセア書3章1~3節


 人は何度裏切られたら、愛することをやめられるのでしょうか。裏切られて、相手を憎いという思いに支配されたのだとしたら、それはなお相手を求める心に縛られている裏返しではないでしょうか。私たちの愛は神の愛に遠く及びませんが、どんなに裏切られ、傷ついたとしても、誰かを愛し、愛されたいという「愛の交わり」を求める心を失うことはできないのです。
 本日与えられましたホセア書に登場する預言者ホセアも、「裏切られても愛することをやめられない」ことに苦悩した一人です。彼は神からとんでもない命令を受けました。「姦淫の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ」という神からの召命を受けるのです。その時のホセアの心情について聖書は何も語りませんが、彼の心をどれほどの嵐が吹き荒れたことでしょうか。今で言えば、「不倫願望バリバリの女と結婚して、外の男ともうけた子どもも引き取りなさい」と神様は命じておられるのです。私はホセアがどうしてこの命令に従うことができたのかとても不思議です。しかし、このシチュエーションを思いめぐらしながら思ったのです。ホセアはきっと、この姦淫の女ゴメルと「神の命令からの義務感」だけで結婚したのではなかったのだろうと。ゴメルと出会った時、ホセアはきっとこの性に奔放で、神の愛を知らない女性のことを愛したのはないでしょうか。彼女に対する嫌悪感でいっぱいだったら、神の命令に従うことはできなかったでしょう。神は、ホセアの心にゴメルに対する愛情をも備えられたのだろうと思うのです。
 こうしてホセアはゴメルと結婚しますが、ゴメルの浮気癖は留まるところを知りませんでした。ホセアは第一子として男の子『イズレエル』をもうけます。新共同訳では省かれているのですが、新改訳聖書の1章3節を見ると「彼女は身ごもって、『彼に』男の子を産んだ」と書かれています。しかし、第二子の女の子ロ・ルハマと第三子の男の子ロ・アミには、「彼に」ということばがありません。『ロ・ルハマ』と『ロ・アミ』は、ゴメルが姦淫によって産んだ不倫相手の子どもと考えられるのです。その後、ゴメルは男と一緒に去って行きました。ホセアと3人の子どもを残して。うち2人は不倫相手の子どもです。ホセアは妻が姦淫によってもうけた子どもをどのような思いで見つめていたことでしょう。哀しさ、やるせなさ、怒り、憎しみ。それでもなお、彼女を愛することを捨てきれない苦しみ。なぜこのような過酷な結婚生活を神は命じられたのでしょうか。
 それはホセアの結婚生活を通して、神様がイスラエルの民に対する悲しみを示そうとされたからでした。イスラエルの民が主なる神から離れて他の神々を拝むことは「霊的な姦淫」であり、神様が感じている痛みは、妻に裏切られている夫の苦しみと同じであるというのです。愛しても愛されない裏切りに満ちた結婚生活を送っていたホセアは、神様の痛みを身をもって体験することとなったのです。だからこそ彼の預言は切迫感がこもっていただろうと思います。
 そして、本日の聖書箇所である3章へと続きます。
主は再び、わたしに言われた。「行け。夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」
干しぶどうの菓子とは、小麦粉に干しぶどうを入れてつくった菓子で、秋の収穫感謝祭の時に天の女王と言われたアシェラにささげたものです。「天の女王アシェラ」は、ギリシャ語では女神「アルテミス」です。エペソとその周辺地域に福音が伝えられた時、ただならぬ大騒動が起こりました。使徒パウロが「手で造った物など神ではない」と人々に説き伏せたことによって、アルテミス神殿の模型を作っていた職人たちの収入が激減したのです。彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソのアルテミスだ」と叫び続けたので、町中が大騒ぎとなったのです(使徒192341)。この「アルテミス」が天の女王アシェラだったのです。
神様は、他の神々こそ「自分を養い救ってくれる」と錯覚し、偶像の神々に干しぶどうの菓子をささげることに熱中しているイスラエルの民をなおも愛することをやめられませんでした。なんという哀しいほどの愛でしょうか。ホセアはこの神の愛をもって、ゴメルを愛するように命じられるのです。ゴメルは奴隷、あるいは神殿娼婦という立場にまで転落してしまっており、代価を払って買い戻さなければならない状況にありました。そこで、ホセアは銀15シェケルと大麦1ホメルと1レテクを払って彼女を買い戻しました。出エジプト記21章32節には「もし、牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いた場合、銀30シェケルをその主人に支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。」とあります。突いたというのは殺すことです。とすれば、妻ゴメルを買い戻すために払った「15シェケルと大麦1ホメルと1レテク」というのは規定の半分を銀で払い、あとの半分は物品で支払ったと言えます。小麦より質の悪い大麦が代価の一部とされていることから、ゴメルはかなり落ちぶれていたのでしょう。ともあれ、ホセアは主に命じられたとおりに、哀れな生活をしていた彼女を買い取ったのです。そして言います。「お前は淫行をせず、他の男のものとならず、長い間わたしのもとで過ごせ。わたしもまた、お前のもとにとどまる。」
ホセアの赦しは果たして本心だったのでしょうか。もしホセアがゴメルを真心から赦し、もう一度結婚生活を送りたいと願っていたのだとするならば、それはゴメルに対する怒りよりも、彼女を失いたくないという思いの方が勝っていたからではないでしょうか。一方ゴメルの心にも思いを馳せたいと思うのですが、彼女はどうしてそれほどまでに愛してくれた夫ホセアから離れて、姦淫を繰り返していたのでしょうか。2章7節にはこうあります。「愛人たちについて行こう。パンと水、羊毛と麻、オリーブ油と飲み物をくれるのは彼らだ。」
ホセアはゴメルを買い戻すために、銀30シェケルを払うことができず、半分の15シェケルの銀と残りの分は大麦を支払って彼女を買い戻しました。つまり、経済的にそれほど豊かではなかったことが伺えます。きっとゴメルの不倫相手は、ホセアに比べてゴメルに裕福な生活を提供することができたのでしょう。ゴメルにとって愛されることは自分の欲望を満たしてくれることでした。衣食を満たしてほしい、快楽を満たしてほしい。結婚という窮屈な制約には縛られたくない。ただ与えられることだけを求めていたのです。
しかし、愛されるということはただ欲望を満たしてくれることではありません。あなたという存在そのものを喜び、ともにいることを求める心です。ゴメルの不倫相手はゴメルを本当の意味で愛してはいませんでした。結果としてゴメルは男に捨てられ、娼婦というどん底にまで身をやつすことになります。毎日見知らぬ男性を相手にして体を売る生活。性のはけ口があれば、相手は誰でも良いと考えている男性と体を重ねる日々。「愛」とは対極の世界。私はいったい何を求めていたのだろう?愛されたいと願って、なぜ行きついた先がこんなところなのだろう?ゴメルは自問自答したのではないでしょうか。
私たちも、ゴメルのように真実の愛を知らない者です。貪欲に与えられることだけを求め、与えてくださる神の愛に気づかないで生きています。しかし、そんな主の愛に盲目な私たちに対し、神様は「あなたを失いたくない」という切実な願いを持って私たちを招いておられるのです。ゴメルは銀と大麦で買い取られましたが、私たちを買い取るために神が支払った代価はお金でも物でもありませんでした。それは、「イエス・キリストのいのち」だったのです。
なぜ神様は、私たちにそれほどまでの熱情を持って関わろうとされるのでしょうか。私は自らの罪深さに怖れおののく時に、「もういい加減神様は私に愛想を尽かされただろう」と何度となく思いました。イスラエルの民に何度となく裏切られ、憤り、悲しみ、嘆かれる神。だったら、もう愛することをやめたらいいのに、神は苦悩の果てにまた愛することを選びとられるのです。その神の愛と苦悩の連続が聖書に刻まれている歴史です。ですが、これが神の本質なのです。「神は愛です」と聖書が語る通り、神は愛そのものなのです。
そして、この神に似せて形づくられている私たちもまた「愚かであるとわかっていながら、愛することをやめられない」存在です。世の中は、こんなにも不正と悪で満ちているのに、神様を知らない人であっても「愛」の価値を完全に否定することはできないでしょう。愛するからこそ傷つき、愛されることを求めるからこそ苦しむのに、だったら愛など捨ててしまえばいいのに、私たちにはそれができないのではないでしょうか。それは人が神に似せてつくられたからこそなのです。
それでも私たちは時に、愛することに疲れ愛されないことに傷つきます。そんな時、神様が同じ苦悩を通りながらも、なおも私たちを愛することをやめずに手を差し伸べてくださっていることを思い出したいのです。ヨハネは言いました。「完全な愛は怖れを締め出す」と。私は皆さんにも、そして自分自身にも言いたいと思うのですが、もう二度と誰かを愛したくないと心に固く決めるほどに愛することを怖れていたとしても、その怖れを神の愛は締め出してくださると信じます。
私はかつて大きな裏切りにあった時に、「これほどまでに愛している相手から裏切られる私を、いったい誰が必要としてくれるのだろう」と涙を流しながら思ったことがあります。私が最も苦しかったことは、裏切られたことではありませんでした。裏切られてもなお、相手を求めている自分自身、その愚かしさが身をよじりたくなるほど苦しかったのです。しかし、その苦しみはホセアと、そして父なる神の苦しみであることを主は私に示してくださいました。そして、妻に幾度となく裏切られてもなおも妻を求め、連れ戻す夫のように、神様は私を求めておられるのだということにも気づきました。この方は決して私を裏切ることも捨てることもしないのだということを。
そしてこの方の愛に満たされた時、私たちの心に奇跡が起こります。神の愛はすべての人を包み、慰め、生かし、立ち上がらせます。神に治療できない傷はありません。神が喜びに変えられない失望もありません。神に触れられた私たちの心は窓が全開になるように、大きく開かれます。傷つくことを怖れて縮こまっている心は溶かされ、また誰かを愛する一歩を踏み出すことができるようになるのです。裏切った人を赦し、傷つけた人を受け入れる心が与えられるのです。もし今自分にはできないと思ったとしても、失望しないでください。神様の愛を知るということは、私たちがこの生涯をかけて行っていく一大事業なのです。昨日より明日、明日より明後日、私たちは神の愛を体験します。そして、神を愛するように人を愛することを学んでいくのです。

神は愛することをやめられません。私たちもまた、愛することを捨てきることはできません。そうであるならば、私たちは時に私たちを苦しめる「愛」と真正面から向き合う必要があるでしょう。愛の源は神にあります。この方にとらえられ、今日新しく神の愛と出会わせていただきましょう。ゴメルを買い取るようホセアに命じ、愛するひとり子イエスを十字架につけた神は私たちに語られます。「わたしのもとに留まりなさい。わたしもあなたにそうしよう」。

大野 夏希

2017年3月25日土曜日

「騒ぎ立つ思い静め」

 この曲に出会ったのは東北を襲ったあの大震災の余震がまだまだおさまらない頃のことです。私達の聖歌隊は2011年の被災地支援コンサートに始まり、福島、郡山、仙台と仲間の教会や被災者住宅への慰問コンサートを始めました。
被災された方がたの心に寄り添えるような賛美がしたいと願いながら曲を選んでいました。その時 “Let not your heart be troubled”と言う楽譜が私の目にとびこんできました。早速楽譜を取り寄せました。ヨハネによる福音書14章1〜4そのものが賛美となった曲でした。

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。」

 愛する人たちを失い、住み慣れた家も土地も奪われ、想像も及ばないほどの苦しみ嘆き悲しみを負われている人々にどんな慰めの言葉も見つかりませんが、讃美歌の言葉には力があります。そしてこのヨハネ福音書のみ言葉こそが主から示された被災地の方々への慰めとなる事を祈りつつ賛美しています。

上杉道子

「騒ぎ立つ思い静め」の聖歌隊賛美はこちらから。

2017年3月12日日曜日

教会創立54周年記念礼拝

3月5日の礼拝は教会創立54周年記念礼拝でした。
54年間守られ多くの実を結び、成長させられ、神様をほめたたえることのできる恵みを感謝します。
以下週報一面を掲載します。

創立54周年を記念して ~副田信子夫人「十周年小誌」より~
〇――昭和35年4月、東京開拓伝道のため名古屋より上京、二子玉川の連盟住宅に仮住居して伝道地を探がし歩き、やっと井の頭沿線、明大前の個人住宅で伝道集会を開始致しました。筆舌につくしがたい伝道上の苦難と、それを覆いつくして余りある恵みに支えられ、明大前伝道所の働きと定住の伝道地の与えられんために祈りつつ3年がたちました。
〇昭和38年2月25日、現在の大泉会堂と牧師館に移転。「大泉バプテスト 伝道所」として3月3日、第1回聖日礼拝を牧師夫婦と9名の方々と共に守りましたときは、本当に感慨無量で、礼拝奏楽に指が震えるのをとどめることができませんでした―――――(以下略)
〇副田信子夫人の感動の様子が伝わってくるようです。昭和38年(1963年)の3月3日に、初めてこの地で11名の礼拝出席の下、記念すべき第1回の主日礼拝が献げられたと初代牧師夫人は証言されています。当時はまだ会堂の周囲はほとんど畑であったということです。
〇この1963年は、4月1日に合併によって北九州市が新たに誕生し、またJ.ケネディ大統領がダラスで暗殺された年でありました。高度経済成長のただ中にあって、政治的には激しくゆれ動いた年でありました。
〇そのような年の3月1週に礼拝が献げられて以来、教会は一度も欠かすことなく主日礼拝をささげてきました。2800回を超える礼拝の歴史を受けて、本日あらためて54年目の教会創立記念礼拝をささげることができるのはまことに感無量であります。
〇初代の副田牧師から4代にわたって受け継がれてきた福音宣教の働きは、主イエスから教会に託された第一の使命であります。この地に教会が立つ限り、福音が語られ続けなければなりません。新しい年度を前にして、来たる年も伝道する教会として固く立ち続けたいと願うものです。
木村 一充