2015年2月28日土曜日

ソロモンの雅歌(2月15日説教) 

「恋しい人は言います。『恋人よ、美しいひとよ。さあ、立って出ておいで。ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよ。さあ、立って出ておいで。岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ。姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。』
狐たちをつかまえてください。ぶどう畑を荒らす小狐を。わたしたちのぶどう畑は花盛りですから。恋しいあの人はわたしのもの。わたしはあの人のもの。ゆりの中で群れを飼っている人のもの。夕べの風が騒ぎ、影が闇にまぎれる前に、恋しい人よ、どうか、かもしかのように、若い雄鹿のように深い山へ帰って来てください。」(雅歌2:10-17


雅歌はソロモン王が作ったと伝えられる優雅な恋の歌です。新共同訳では歌の言葉の前に「おとめの歌」「若者の歌」「合唱」とあり、オペラのようにパートが決まっています。もとは結婚式で歌われた祝婚歌だといわれます。今日のところは「おとめの歌」で花嫁から見た歌です。若者が「美しい恋人よ、ぼくの元においで」と優しく呼びかけます。自然の風景の描写が美しく詩的です。イスラエルでも二月が終わる頃、雨季が終わって短い春が来ます。神の造られた美しい自然も春、人間にも人生の春が訪れます。舞台は果樹園で子孫の繁栄もイメージされています。このあとおとめから若者に応答のことばがあります。狐たちをつかまえてください。すなわち、恋の旅路を邪魔する者をつかまえてください、と。そして続けます。「恋しいあの人はわたしのもの。わたしはあの人のもの。」イスラエルでは今も結婚式の新郎新婦の誓いのときにこの言葉が読まれるそうです。夫婦は一心同体となるのです。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世2:24
ハッピーエンドのようですが、最後の言葉は寂しげです。若い時はお互いに熱烈に恋愛して一緒になっても、年を取るにつれて心が離れていく。人生の夕べに夜の闇が訪れる時まで、お互いに助け合い愛し合う夫婦でいたいですね。

 さて、雅歌をラブソングとして読んできましたが、それだけでは正典の聖書には載らなかったでしょう。おとめと青年は何かのたとえではないでしょうか。おとめをイスラエルの民としたら、青年はソロモンのような王であり、さらには人間を治める王、主なる神です。おとめが青年を慕うように熱烈な愛をもって、心を尽くし思いを尽くして、イスエラルの民が主なる神を愛する、そして主なる神も、ご自分の民である私たちを愛してくださる。しかしそれは旧約の民、ユダヤ教徒の場合です。私たち新約の民、クリスチャンをおとめとすれば、恋しいお方とはどなたですか。教会を「キリストの花嫁」とたとえます。救い主イエス・キリストの花嫁が、私たちの教会ということです。青年イエスは独身でいらした。人々のため日夜働かれ、結婚をするひまもありませんでした。教会のことを「キリストの体」とも言います。主イエスは、この世で成し遂げたかった平和を実現し、伝えたかった愛の教えを人々に伝えていくために、この世に教会を与えられました。私たちは、キリストの花嫁である教会を守り、主イエスにお仕えしていきましょう。

(説教者 大田雅一協力牧師) 

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