2016年7月24日日曜日

サマーキャンプ2016 その2

 6時半からの早天祈祷会で始まった2日目。
 すがすがしい緑のなか、みなで円になって聖書のことばに耳を傾け互いのために祈りました。
 
 朝食の後はグループに分かれて「主のある交わり」というキャンプテーマにそった分かち合いの時間を持ちました。それぞれの視点から「交わり」の意味や大切さが語られ、互いに愛し合い支えあっていきたいという思いを改たにしました。


 分かち合い後の集合写真。 


 その後は自由散策。天気が良ければ富士山が見れるようですが、今回は雲に隠れて見れませんでした。



 バイクにこんな大きなバッタがとまっていました。触っても全く動きません。思わず一句。
 「あのバッタ 俺のバイクに 住みついた」。



 昼食後帰途へ。途中桃狩りに寄り、特大の桃に舌鼓を打ちました。

 帰りも渋滞に巻き込まれましたが2時間遅れで無事に到着しました。互いに今まで知らなかった一面を知り、関係が深められたキャンプでした。

大野 夏希

サマーキャンプ2016 その1

 毎年恒例のサマーキャンプ。今年は7/17~18に静岡県御殿場の東山荘にて行いました。
キャンプのテーマは「主にある交わり」。行きも帰りも渋滞に巻き込まれプログラムどおりにいかないところもありましたが、それもまた旅の醍醐味です。
 予定より1時間ほど遅れて到着したので、開会礼拝を繰り上げてすぐに夕食。東山荘の食事は毎回バイキング形式でしたがどれもとても美味しく、普段少食な人もおかわりするほどでした。
 食事の後に遅ればせながら開会礼拝を行いました。キリストという磁石に引き寄せられて集まる砂鉄が、私たちクリスチャンの交わりであるというメッセージはとても分かりやすいたとえでした。イエス・キリストを見上げるお互いだからこそ、相手が自分と合わないと思うような人であっても、ともに歩んでいけるのであり、そうできるようにキリストが力をくださるのだと思われました。
 その後は子どもたちが待ちに待っていたキャンプファイヤーです。


灯火の行進。本格的です。


あかし(信仰生活の中で神から教えられた体験を語ること)の時間。


花火。大人も子どもも夢中です。


少し雨が降り出しましたが、キャンプファイヤーの前にはすぐにやんで無事に行うことができました。

大野 夏希

2016年7月11日月曜日

神学生のあかし その2

神学校週間のあかしはこれで3回目になります。いつもお祈り本当にありがとうございます。仕事と勉強の二足のわらじという点でも、経済の点でも、多くの方の祈りと支えによって続けられていることを実感しています。
さて、私が神さまから与えられている賜物でとても感謝していることがあります。それは、「忘れっぽい」ということです。
勉強や仕事の上で忘れっぽいことは本当に困ることですが、最近この「忘却の賜物」のすばらしさに目覚め始めています。「私最近忘れっぽくてもう年だわ」と思っておられるご年配の方々にも朗報かもしれません。
忘れることはいいことも忘れてしまうかもしれませんが、当然嫌なことも忘れます。いつまでも相手からされた嫌なことを悶々と抱えていないでいられる賜物です。私は特別養護老人ホームの生活相談員をしていますので毎日認知症の方と接していますが、「ばかやろー、うるさい」と怒鳴った相手と数分後には手を取り合って歌を歌ったりしているのです。なんとすばらしい和解、これは忘却の賜物があればこそです。
しかし、このように能天気になれたのはまさしく神さまが私を造り変えてくださったからであり、思い返せば私には赦せない人がたくさんおりました。クリスチャンになって、赦さなければならない一人ひとりのことを「赦せるように」祈り続けた結果、多くの人を神さまの恵みによって赦すことができるようになりました。その一人が父です。
父は感情の起伏が激しい人で、また子ども、とりわけ長女に対する私への期待や理想が強くありました。別にクラスで一番になれとかそういうことではありませんが、人並みな大人にしようと必死になっているところがありました。
私は学校で集団生活に溶け込むことがなかなかできず、落ち着きがなかったり授業で上の空だったりすることが多くありました。父はそんな私にとても気をもんでいたのでしょう。よく私を殴りました。とりわけ、学校で宿題や必要なものを忘れたりした時には顕著で、必ず殴られました。なので忘れ物をしたことを隠しましたが、忘れ物をした場合先生から記入をさせられる「忘れ物カード」なるものがあったため、それを定期的に見せるように命じられ、必ず隠したことはばれてしまい、三倍殴られる羽目に陥りました。ある時、耳の鼓膜が破れてしまったことがあり、その時母はもう離婚だと職場にまで触れまわって大騒ぎしましたが、結局離婚には至りませんでした。
今思うと、この異常な物忘れはストレスから来ていたのだろうと思います。大学3年の時や社会人になってから私はうつ病を患いましたが、その時も最初の症状として現れたのは記憶が飛ぶことだったからです。しかし、父は学校でいじめられている苦しさも、忘れたくて忘れているわけではないのに努力してもできない悲しさも、わかってはくれませんでした。
思春期を迎えると父とは顔も合わせたくないほど嫌悪感でいっぱいでした。母とも年がら年中怒鳴りあったり物を投げつけあったりしていたため、早く離婚してほしいとしか思っていませんでした。
大学3年の時、両親が離婚しました。やっと平和な家庭になれるとほっとしました。しかし、物理的には一緒に暮らすことはなくなりましたが、私の心は決して平安ではなく父から自由になったわけではないと思わざるをえませんでした。私の心は幼い時からの父への怒りでいっぱいで、それにとらわれたままでした。私は父を赦すことができるように祈りました。祈って静まってもまた湧いてくる怒りにあきらめそうになりながらも。
祈りは突然聞かれました。大学4年のある日父の家に足を運んだ時のことでした。父は酔っぱらってろれつが回っていませんでした。父は私が子どもの頃の話を始め、突然さめざめと泣きながらこう言ったのです。
「あの頃、お前にはひどいことをした。本当に申し訳なかったと思っている。ごめんよ。ごめんよ」
 今までのわだかまり、悲しみ、怒りがすーっと溶けていくような気がしました。そして、自分の中に父を責める心が全く消えていることに気がついたのです。私は「もう怒ってないから。もういいよ」と言いました。父はおんおん泣きながら、私を抱きしめてくれたのです。お酒臭くて少し嫌でしたけれども。
 離婚して大切なものを失い、父は心から今までの過ちを悔いたのでしょう。一人ぼっちになって初めて、自分が家族から与えられているものを悟ったのかもしれません。
大学3年の時に、私の家族はひとつの終りを迎えました。母には新しい恋人ができ、父は相変わらず一人です。弟も独立し、みんなそれぞれの道を歩み始めました。しかし、私たちは今までとは違った家族としての関係をつくり始めています。私は父と和解しました。母も歳月と新しい彼に心をいやされたのか、数年前から父と会うことを嫌がらなくなり、家族四人で会うようになりました。先日の母の日には母の家に四人で集まり食事をしました。
神さまは私たちに新しい平和をくださいました。幼い頃からずっと切望し続けてきた平和です。神は祈りを聞いてくださいました。
そして幼い頃苦しんできた忘却を賜物として磨いてくださった神は、以前よりももっと人を赦すことができるように私をつくりかえてくださいました。
物忘れが多くなったと悩んでおられる兄弟姉妹の皆様、この忘却の賜物をともに喜びましょう。そして、忘れることによって赦すことのできる幸いを感謝したいと思います。

大野 夏希

2016年7月3日日曜日

神学生のあかし その1

 先週の日曜日から1週間、大泉教会では神学校週間の時期を過ごしました。全国に3つある日本バプテスト連盟の神学校を覚えて祈り、献金をささげる時です。毎年現役神学生のあかし(信仰生活で教えられたことや救われた体験を語ること)がなされ、ともに神の恵みを喜びあいます。
 2回の記事に分けて、おととしと今年のあかしをアップしていきたいと思います。


 私は大学を卒業してから、否が応でも祈らなければならないという強い迫りに押されて、毎日祈るようになりました。特別養護老人ホームでの不規則な勤務は多忙を極めましたが、不思議と毎日1時間、2時間と祈ることが習慣になっていきました。主イエスに心を注ぎだして祈り、ともに時を過ごすことは、至福の時間でした。
そんな日々を過ごすうち、私は日常的に心のうちに書きつけられるかのような「声」が聞こえるようになりました。その声に導かれるままに、私はひとりの不眠症の友人のために祈るようになったのです。1ヶ月ほど祈った時突然「彼女はいやされましたよ」という声を聞きました。「これは自分の願望が声となって聞こえたに過ぎない」。そう思いました。するとその3日後、何の前触れもなく彼女からメールが来たのです。メール不精の彼女は返事すらろくに返ってこない人でしたので、まず向こうからのメールが来たことに驚きました。実に半年ぶりのメールだったのです。「元気?」という文面の後に、「不眠症から解放された」とありました。私が衝撃を受けたことは言うまでもありません。彼女のために祈るように導かれているという感覚が自分の思い込みではなかった、この祈りが神のみこころにかなっていたということは、私に大きな励ましを与えました。そして神さまが彼女を愛し、いやしをもたらされたということを知り、これまでの神さまからの語りかけに心から感謝をささげたのです。
その後いろいろな方から「神さまがあなたを用いようとしている」という励ましのことばをいただき、自分自身の使命のために今まで以上に祈るようになりました。そして、与えられた聖書のことばが「あなたの耳は、背後から語られることばを聞く。これが行くべき道だ、ここを歩け、右へ行け、左に行け」と。」(イザヤ30:21)でした。そのことばによって、私は神さまからの啓示を何らかの形で伝える役目をゆだねられていると確信するにいたりました。
しかし、その時はまだ自分が牧師になるために動き出す時ではないと感じていました。福祉の仕事をしながら、私は神さまが、「行きなさい」と声をかけてくださるのを待っていました。その間、さまざまな信仰の闘いがあり、自分の不信仰や貪欲に嫌気がさしてうつ状態になり、「こんな私を誰が愛してくれるだろうか」「今この瞬間、自分のことを案じてくれる人などいるのだろうか」と自問するうちに、どんどん負のスパイラルから抜け出せなくなっていきました。しかし、そのような孤独と絶望の中で限界を迎えた時、神さまは私のために祈ってくださる方や私のために泣いてくれる友をそばに置いてくださいました。そして、私の心身は回復していったのです。
神さまが私を呼んでくださったのは、それからすぐのことでした。私は高齢者のデイサービスで相談員として働いていたのですが、職場の施設で何回かゴスペルコンサートをさせていただいていました。その時のコンサートでは、演奏の合間に短い聖書のメッセージをさせていただくと決め、語りだしたとたんに神が私たちにしてくださった恵みの大きさに、語っている私自身が心を揺さぶられました。そして、「私は福音を語らなければならない。この恵みを語らないわけにはいかない」という強い思いが湧き上がってくるのを感じました。そのとき神さまが福音を語り、啓示を解き明かす任務に就かせるための備えを整えられたことを全身で感じ取ったのです。そして、祈りながら学ぶことのできる神学校を探し、今にいたっています。

入学にいたるまでのプロセスを通して、神さまから教えられたことがあります。それは、人は何かができるから、愛される価値があるのではないのだということです。うつ状態だった私は、仕事もできず心の中は空虚で、神さまに喜ばれそうな要素は何一つありませんでした。私の中にはたくさんの罪と弱さが潜んでいます。にもかかわらず、一方的に私を赦し、受け入れてくださる主イエスを信じている。それが私の誇りであり、何よりも伝えたいことです。その神の愛を伝えるべく聖書を学び、福音を伝える者に整えられていきたいと願っています。

大野 夏希