2018年12月25日火曜日

ファミリークリスマス2018

 主日礼拝が終わった後の午後、ファミリークリスマス礼拝が行われました。
嬰児から高齢者まで、クリスマス降誕劇や賛美、ゴスペルフラなどさまざまな仕方で礼拝をささげる恒例行事です。
今年は特に子どもたちがアクティブで、劇中に壇上に上がってはいはいしたり、司会者に走り寄っていく子をみんな微笑ましく見ていました。
 礼拝の最後は、サンタさん登場。子どもたちにプレゼントを渡し、風のように去っていくサンタを見送り、最後は「きよしこの夜」を賛美して閉会しました。普段礼拝にあまり来られない親子もたくさん来てくれて、ほっこり暖かな雰囲気に包まれた礼拝でした。 

クリスマス絵本の朗読


大人と子どものコップダンス。目にも止まらぬ早業


幼少科と女性会による降誕劇(ペイジェント)
壮年会による賛美
エインカレムによるゴスペルフラ

サンタさんのプレゼントに大喜び


2018年12月24日月曜日

光あふれる相浦の教会~聖歌隊伝道隊~その2

辺り一面緑に囲まれた田園風景の中に立つ白亜のモダンな教会のシンボルはなんと言ってもその赤い玄関扉でしょう。建築設計者の中に小羊の血、あがないの血のイメージがあったと宣教50周年記念誌(2017年)に記されています。
現在のT牧師が6年前に赴任されるまでには3度の無牧師時代を経験し、新会堂建築に至るまでの紆余曲折のなかで堅く結びあった信徒の強く深い信仰がこの会堂の隅々にあふれ、輝いていることを感じました。どこも全てが美しい!
99匹の羊と迷子の1匹にちなんで1番から100番まで番号の付いた100匹の手作りの羊が会堂中に飾られ、私たちを迎えてくれました。なんてかわいらしい!
相浦光教会聖歌隊「ぶどうの木」が僅か3名で何年も毎週奉仕を続けておられることにも驚かされました。音大出身のアルトを中心にソプラノ、テナーの整った美しいハーモニーが高い天井から会堂全体を包み込むように流れました。
礼拝中は時折暴風雨がたたき付け建物が音を立てました。欠席者の目立つ会堂でし
たがT牧師のメッセージは暴風雨を打ち砕くほどの力強さに満ちていました。
午後には台風も収まりコンサートに多くの方が集って下さいました。私たちには突然のことでしたが、地元のケーブルテレビ局が取材に来ました。佐世保近隣のイベント情報などを地域に流すそうです。コンサート会場ではT牧師や来会者へのインタビューもなされ、早速夕方7時から放映されました。地域にひろく教会を知ってもらえる何よりの機会となったことを真智子先生共々に喜びあいました。

上杉道子






2018年12月23日日曜日

世界文化遺産潜伏キリシタンの集落 ~聖歌隊伝道隊~その1

巨大台風24号の動向に一喜一憂の929日、相浦光教会のT牧師から「何も心配はいりません。神さまが良き備えをなさってくださいますから」のメールに聖歌隊員のラインが一斉に「よし、決まりだね」。全員の心がしっかりと長崎に向かいました。
今年20187月に長崎キリシタン関連遺産が世界文化遺産に登録されました。T先生のお勧めで佐世保の外海(そとめ)出津(しつ)集落を見て回ることになりました。遠藤周作の「沈黙」の舞台となった集落です。禁教時代に潜伏キリシタンを励ましながら教会や福祉施設、女性のための授産所などの建設に当たったフランス貴族出身のド・ロ神父の偉業をまのあたりにし驚きでいっぱいでした。ド・ロ神父と信者たちが一つずつ煉瓦を積み上げてたてられた黒崎教会、出津教会、ド・ロ神父記念館それぞれの場で聖歌隊が賛美を捧げる機会が与えられました。中には150年〜200年前にフランスで造られこの地に送られた珍しいオルガンもあり、シスターの「どうぞ弾いてください」にMさんは目を輝かせながらその貴重なオルガンを弾きこなし、聖歌隊が賛美しました。神父様、シスター、居合わせた一般の観光客も喜んで下さりコンサートに勝る喜びでした。
 遠藤周作記念館の高台から見下ろす海は、小説の中で棄教を迫られながらも信仰を貫き海の中に消えていった殉教者たちが静かに眠っているようでした。又その日は奇しくも遠藤周作の命日で、正面に飾られた遠藤周作の遺影にバラの花を捧げました。


上杉道子

 出津教会

 高崎教会
















2018年12月2日日曜日

ミニ研修旅行~「安中」を訪問して~

 10月30日(火)、教会の6人のメンバーで群馬県の安中市を訪問、同志社大学の創立者、新島襄の実家と、彼が立てたという安中教会を見学しました。すがすがしい好天のもと、朝9時に教会を出発し、途中の寄居でTさんと合流し、関越道の高崎インターを降りて30分ほど一般道(国道18号)を走ると、そこはもう安中市内でした。幹線道路を左折し、路地に入ると、新島襄の実家を案内する標識がありました。
 藁ぶき屋根の実家①の横には駐車場があり、そこにコスモスや山吹色の草花が咲きほこっています。②裏山には新島襄の生涯とその業績を伝える石碑が立っており、もうひとつ、彼の直弟子の詩が石碑に刻まれていました。中にはいると、床の間には新島襄の直筆による掛け軸がかかっていました。5歳の時から書道を習っていたという新島襄の達筆さに驚かされました。彼は22歳の時、函館港から米国まで(喜望峰まわりで)1年余りかけて渡航したと言います。展示コーナーでは新島襄の生涯を、写真や肖像画を通して詳しく知ることが出来ました。
 午後には、新島襄が立てた安中教会を訪問しました。③1000を優に超す広い敷地にはモミの木をはじめ、檜や杉の木がバランスよく植えられ、会堂は石造りでどっしりと落ちついた建物です。さらに、隣接する土地に幼稚園があり、子どもたちが教会の敷地内で自由に走り回っていました。聞けば、教会の付属幼稚園ではないとのことで、敷地をそのまま遊び場に提供している教会の懐の広さを思わされました。地元の名所として絵葉書にも登場するこの二つの建物を通して、地元の方に新島襄という人物がひろく浸透し、受け入れられていることを実感した旅行となりました。

木村一充