10月30日(火)、教会の6人のメンバーで群馬県の安中市を訪 問、同志社大学の創立者、新島襄の実家と、 彼が立てたという安中教会を見学しました。 すがすがしい好天のもと、朝9時に教会を出発し、 途中の寄居でTさんと合流し、関越道の高崎インターを降りて30 分ほど一般道(国道18号)を走ると、 そこはもう安中市内でした。幹線道路を左折し、路地に入ると、 新島襄の実家を案内する標識がありました。
藁ぶき屋根の実家①の横には駐車場があり、 そこにコスモスや山吹色の草花が咲きほこっています。②裏山には新島襄の生涯とその業績を伝える石碑が立っており、 もうひとつ、彼の直弟子の詩が石碑に刻まれていました。 中にはいると、 床の間には新島襄の直筆による掛け軸がかかっていました。5歳の 時から書道を習っていたという新島襄の達筆さに驚かされました。 彼は22歳の時、函館港から米国まで(喜望峰まわりで)1年余り かけて渡航したと言います。展示コーナーでは新島襄の生涯を、 写真や肖像画を通して詳しく知ることが出来ました。
藁ぶき屋根の実家①の横には駐車場があり、
午後には、新島襄が立てた安中教会を訪問しました。③1000坪 を優に超す広い敷地にはモミの木をはじめ、 檜や杉の木がバランスよく植えられ、 会堂は石造りでどっしりと落ちついた建物です。さらに、 隣接する土地に幼稚園があり、 子どもたちが教会の敷地内で自由に走り回っていました。聞けば、 教会の付属幼稚園ではないとのことで、 敷地をそのまま遊び場に提供している教会の懐の広さを思わされま した。 地元の名所として絵葉書にも登場するこの二つの建物を通して、 地元の方に新島襄という人物がひろく浸透し、 受け入れられていることを実感した旅行となりました。
木村一充
①
②③
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